タイムスリップ! 若者たちがキラキラ輝いていた'72年音楽シーンへGo!
CBSソニーよりリリースされたアナログ・シングル盤の「哀愁のページ」(文中敬称略)
このシングル盤は、'72年9月21日リリースされた、A面は、「哀愁のページ」、B面は、「美しい娘たち」が収録。
この「哀愁のページ」は、筒美 京平が創った名曲(作詞は、有馬 三恵子)、チャートの第3位にランクされ27.3万枚のセールス。
後に、小川 知子がカヴァーしています。
南 沙織は、内間 沙織(クリスチャン・ネームは、Cynthia)の名で琉球放送の『100万人の大合戦』のアシスタントを担当していたが、この番組のゲストだったヒデとロザンナのマネーシャーの岩橋 豊にスカウトされます。
偶然、内間 沙織の写真を見たCBSソニーのディレク酒井 政利が、気に入って(既に、天才作曲家の筒美 京平作品でのデビューを決めていたそうです)'71年2月にオーディションを。
オーディション曲は、この時、大ヒットしていた、リン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」を歌いました。
この年に17才になる、南 沙織(名前は、公募で南 陽子に決定していたが作詞家の有馬三恵子が“沙織”に)にちなんで、デビュー曲の楽曲名を「17才」と決めたのは、酒井 政利。以後、シングル盤A面の楽曲名は全て、酒井 政利が決定している。
※作詞家の有馬 三恵子は、決められた楽曲名で、歌詞を創っています。
この「17才」と決めた時に、作詞家の有馬 三恵子に依頼したのは、“少女の主体的な表現(私小説的な一人称)”を盛り込むようにと!
以後の歌詞は、全て私小説的な一人称になっています。
天才作曲家の筒美京平は、オーディション曲の「ローズ・ガーデン」をアレンジして、アメリカン・ポップスの臭いを漂わせ且つ、モータウン調の雰囲気も盛り込んで創りあげています。
以後は、↓のサイトを。
南 沙織については、←の日本語サイトで。
ユー・チューブ→「
哀愁のページ」←素敵なバラードの名曲です……絶対に……未来に残したい音源です。
↑
メッセージが書き込まれているが、確かに、イントロの横文字の台詞がいいよね。
B面の「美しい娘たち」も名曲です、↓、
ユー・チューブ→「
美しい娘たち」←素敵な名曲です……絶対に……未来に残したい音源です。
↑
イントロを聴いて、何故か、浅田美代子の「赤い風船」のメロディーを連想…
日本最大のクリック募金は、文字数オーヴァーにより割愛しました。
Cynthiaっていえば、南 沙織の大ファンの吉田拓郎が創った「
シンシア、
シンシア2」(よしだたくろうかまやしひろし)は欠かせません。
東京の天気は、朝から雨が降り出しそうな曇天で蒸し暑かった盛夏の1日。
P.S.:もし、お時間があれば、
『you tube』→『水平線の彼方から』、
『憩いの館』へも訪問していただければ幸いです。
『素敵なミュージシャン達 Amebe版』も、更新を。
このシングル盤は、450円だった。
この当時の、盤は、専ら400円。
何故か、
それは、篠山記信が撮影した、南沙織のカラー写真集が添付されていたから。
B面の「美しい娘たち」を作詞した土橋 正之は?→月刊平凡で南 沙織の歌詞を募集して当選された方で、有馬 三恵子が補作詞を。
CBSソニーのこの頃のシングル盤は、『SOLYシリーズ』と銘打っていて、独自に開発した、“SQ4チャンネル”方式でレコーディングされている。