テーマ:ウォーキング(4256)
カテゴリ:ビワイチ
徒歩でビワイチ 気ままな歩き録。 2024年5月2日 大津市 晴れ 最高気温21℃ 最低気温11℃ 雨後のさわやかな春の日。 今回は、比叡山延暦寺を巡った。 順路は、東塔ー西塔ー横川 の順で延暦寺の主要な山門をウォーキング。 延暦寺は天台宗の総本山であり、東塔、西塔、横川の3つの地域に分かれているがこれらすべてを 総称して比叡山延暦寺という。 平安時代の延暦4年(785年)に最澄(伝教大師)により開山され、法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗) 日蓮(法華宗)・道元(曹洞宗)・栄西(臨済宗)・一遍(時宗) など、後の仏教各宗派の開祖が学んだ いわば日本仏教の総合大学といえる地である。 今回は東塔を巡ったことを纏める。 坂本ケーブル延暦寺駅から約10分で東塔の入山口。 前回にも書いたが、Wet購入券は受付で提示が必要だが電波が弱くWeb画面表示されない ことがあるので現地での購入がお勧め。 東塔は延暦寺発祥の地で本堂に当たる根本中堂を中心とする地域。 根本中堂 ー 文殊楼 ー 大講堂 ー 戒壇院 ー 阿弥陀堂・東塔 ー 山王院 ー 浄土院 の順で巡った。 入口からすぐに根本中堂がある。 本堂と廻廊で構成される建物で、本堂は国宝、廻廊は重要文化財。 現在は2016年から10年かけての大改修中で堂全体を修理建屋で囲われている。 しかし、修理建屋内の入場とお参りは可能。 大改修の張り紙。 根本中堂は延暦寺の総本堂で本尊は薬師如来。 複数回の災害による破損を経て、その都度規模を大きくし、現在の姿は寛永19年(1642年)の竣工。 本尊の前には1200年間灯り続けていると言われる「不滅の法灯」がある。(比叡山HPより) しかし、この不滅の法灯、延暦寺では織田信長の焼き討ち(1571年)で一度消えているらしい。 それより以前に山形県の立石寺(天台座主 円仁 の開山)に分灯しており、そこから再灯火したとのこと。 また「油断」の語源とも言われている。 法灯は菜種油で灯されており油を絶やさないようにしなさい ということらしい。(Wikipediaより) 修理建屋内に入場。 不滅の法灯は本尊の前に3つ灯されていた。 館内写真禁止のため画像はない。しかしお堂の外になる修理建屋の見学エリアは撮影可能。 改修中の廻廊。 説明文。 本堂屋根と大改修を説明する動画。 2026年の完成が楽しみである。そのときはまた来よう。 さて、根本中堂から出て真ん前に大きな石段がある。文殊楼に続く階段だ。 1段1段が高い長い石段である。 文殊楼。 琵琶湖に向かって立っており、延暦寺の本来の正面玄関といえる建物。重要文化財。 文殊楼を後にして大講堂へ。 元は天台座主第1世の義真により建立された建物で僧侶が学問研鑽のための議論をする道場。 昭和31年(1956年)に焼失したため、昭和39年(1964年)に麓の坂本にあった讃仏堂を移築した ものとのこと。(延暦寺HPより) 本尊は大日如来で、堂内には延暦寺で修行をした各宗派開祖の木像と肖像画が安置されている。 重要文化財。 大講堂前にある鐘楼。誰でも撞くことができる。(賽銭は必要) この鐘楼のおかげ? で東塔の域内では鐘の音が常に響き渡っている。 明日からの連休中は早鐘のごとく鳴り響くことだろう。 大講堂の前にはこのような大きな石碑も建てられている。 「しょうせんいちぐう これすなわち くにのたからなり」と詠むらしい。 一隅にありながら千里を照らすことができる人材が国の宝である というような意味らしい。 尤もである。 その石像の裏面。 「いちぐうをてらそう」と読む。 表面とちょっと意味が違うような気もするが、、、 「英知により千里を照らす人となれるよう研鑽すると共に一隅にも気を配り救いましょう」 ということなんだろうと自分なりに解釈した次第。 人としてそうありたいものである。 次に向かうは戒壇院。重文。 この建物、延暦寺ではとても重要な意味を持つ建物。 戒壇とは、戒律を授ける場所という意味で、正式な僧として認定する場所ということ。 正式な僧とは、出家した人を正式に僧として認めること。 得度=出家すること、戒壇=正式な僧として認められること と捉えるとわかりやすい。 得度 → 修行 → 戒壇 が僧としての出世のステップとなる。 最澄の時代は、税を逃れるため出家する者が横行したことから国が僧を認定する制度を採っていた。 よって、この戒壇院を創建するということは、寺が僧を認定する権限を得ると言うことで 寺の権威を高めるとても重要な事柄で、最澄も建立に心血を注いだようだ。 最澄が亡くなった7日後にようやく授戒を行うことの認定を得たとのこと。 (亡くなったがゆえに認定を受けられたという説もある) 戒壇院の先にある石段。 この先に東塔と阿弥陀堂がある。 東塔と阿弥陀堂。 阿弥陀堂にお参りをして次に向かう。 2つの堂の裏側から続く山道を歩く。 向かうは山王院と浄土院である。 ここからは殆ど参詣者もいなくなる。 ひっそりと佇む山王院。 説明板。 平安末期の源氏・平氏の争い、その後の南北朝の争いにまでつながる騒乱(寺門山門の争い)の 大元の紛争の舞台となった建物ということで歴史的にとても重要なお堂。 東塔の最後は浄土院へ。 開祖最澄の御廟で比叡山延暦寺の中で最も神聖な場所。 今回、最も参拝したかったお堂でもある。 灯籠が立ち並ぶ参詣道。人気のなさもあり厳かさを感じる。 門前。 門前にある説明板。 浄土院境内。御庭は綺麗にされ葉っぱ1枚と落ちていない。 障子戸が閉まっており中の様子はうかがえないが、お堂からは読経の声が聞こえていた。 1000年以上の時を超えて敬い弔い続けられている静かで厳かな空間である。 合掌。 この後、西塔に向かう。 長くなったので今回はここまで。 おつかれちゃん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024/05/03 10:00:11 AM
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