NARKISSOS / Sadistic Mikaela Band
01. 私はBig-Bang, Bang 02. Sadistic Twist 03. in deep hurt 04. Last Season 05. King fall 06. Sockernos 07. Tumbleweed 08. Jekyll 09. Low Life and High Heels 10. NARKISSOS 11. タイムマシンにおねがい-2006 Version(Bonus track) ■考えてみれば日本のロック創世紀なるものはおよそ40年くらい前に起こったムーブメントであり、そこに関わった人たちというのは、いまだに物故しておらず、ある者は現役、またある者は隠遁しているに過ぎず、祖父母に聞くべき種類の昔話ではなく、体感しようと思えばやれレコードだ、やれCDだ、はたまたやれビデオ映像だ、という様々なメディアによっていくらでも追体験することができる。もちろんその流れ、変化のスピードは光速のようにも見えるが、そこそこ半世紀やそこらしか経っていないのである。■職業音楽家の中でもいわゆるロックミュージシャンを生業にしてきた人たちの先駆的存在がこのミカバンドという名の楽団に属した男たちであり、ロックとは果たして若者たちのためだけの音楽であるのかどうかを実証するサンプルとして世間的な注目を集める宿命にある。■やせぎすで長髪が似合ってお洒落で酒とタバコがよく似合う。思想的にはラディカルで、アンチという名のもとに体制側には常に反発。そんな生き方を30代になっても、40代になっても、どれだけ形を変えずにやり通すことが可能なのかどうか。■容姿の加齢は逆らいようがなく、世間的な対応だって、そういつまでも尖ってばかりはいられない。弟子をとるわけではないが後輩の面倒もみないわけにはいかない。大人として振る舞わなければならない場面は数多く、遅刻ばかり失念ばかりでは社会的責任なんか得られやしない。では大人になったロックミュージシャンはどうやってそのかっこよさを維持していけばいいんだ?■そんな思いついた問に対する答が全部詰まっているアルバムである。つまり職人芸的ロック水準は加齢と共に上昇し得る。20代に弾けなかったフレーズや、作れなかったメロディを易々と生み出せてしまえるのは20年30年の経験であり、蓄積された知識に他ならない。演奏技術の進歩にしたってリューマチ、高血圧その他で長時間の労働はさすがにつらいこともあるだろうが、レコーディングにおいては何ら問題なく、職人的なテクニックはまだまだ若造には真似のできないかっこよさなのである。■加藤、高橋、高中、小原の4人がほぼ均等に曲を割り振り、それぞれ”らしさ”を発揮してくれている。M3,M9の加藤曲は彼らしいメロディの起伏に溢れ、得意のファルセットボイスも健在。M4,M7の高橋曲はやはり彼らしいやたらと引っぱる歌い回しのユキヒロビブラート全開。M6,M10の高中曲は速くて甘いフレーズ満載。なんかすごく久しぶりにギタリスト高中を満喫。そしてM5,M8の小原曲については、個人的には今回一番印象が強い。実はこれまで彼が前面に出てくる楽曲は少なく、バックミュージシャンの帝王のように思っていたのだが、この2曲におけるストーンズフレイバーは今までのミカバンドには感じられなかった荒々しさルーズさが逆に新鮮。投げやりなボーカルとどうでもいい歌詞がまた格好いい。■木村カエラの参加が取り沙汰された新作であるが、彼女の参加はこの再々結成のきっかけに過ぎず、彼女なしで成り立たなかったアルバムというわけでは全然ない。よって彼女目当てでこのバンドに行きついたリスナーは肩すかしをくらうかもしれない。■それにしてもポップとは年齢ではなくセンスなんだなと強く感じる一枚。洗練とはちょっとやそっとの思いつきでは得られなく、長年の経験がもたらすものだと感じる一枚。そしてロックが若者だけの音楽だとしたら、こんなアルバムはできるはずがないじゃないか、と言ってしまいたくなるような一枚なのである。