カテゴリ:大学教員生活
困った人に囲まれると書いたことがある。
事実なので仕方ない。類は友を呼ぶ、でないことを祈りつつ過ごしている。 科研費の学内での申請が今週までだったので、この10日ほどは何度も書類を修正していて疲れてしまった。自分のが終わって、ほっとしていたら、締切ギリギリになって、困った同僚から分担者になって欲しいと書類が送られてきた。 うー、ひと目見て、これは駄目だと思った。 科研費や外部資金などの書類を書いた人はよく分かるが、審査しやすいことを前提に、いくつかの区分に分かれている。目的だったり、方法だったり、独創性だったり、書くべき場所が決まっているのだ。 その方の申請書は、その区分にちゃんと適した内容が書かれていなかったのだ。しかも空欄が多い。 正直、申請書を書くとき一番苦労するのが、少ない字数で、他の分野の人にもわかるようにして、新規性を書くことだと思っている。 わかりやすく書くと、新規性が感じられないし、結果として文書が長くなり、書類に収まらない。無駄を省いて、どう説明するのか、自分の能力不足を痛感しながら文章を修正するのが一番の苦しみだ。だから空欄などない! その方は、空欄があるのだ、、、信じられない。空欄出来るなら、言葉足らずなので、図を入れればいいのに。。。。 これで、博士の学位を取って、准教授か。。この大学も中堅と思っていたが、それは規模だけの問題で、レベルは中の下かな。この先生は卒業生なのである。 学位出すレベルでもないし、その後の申請書の指導もなかったのか? 大学院の教育体系を見直すべきであろう。大学院は指導などほとんどない。師弟関係で先輩に教えられ、指導教官に厳しく叱責された記憶しかない。 全然関係ないが、興味あって化学の歴史等を調べていて、合成染料を作った方の話を読んだ。18歳だったかな、若い時期に発見して、事業を起こし、事業は撤退するのだけど、天然染料よりも良いものが合成出来ることを実証したことは偉大な成果である。 その後、染料合成の化学が発展し、医薬品メーカーに発展したと知って、驚いた。 面白い話なので、続けて書くが、錬金術と比較した文章も読んだ。錬金術は、努力が報われないというか、成果がはっきりしなかった。 一方、合成染料の良いところは、その結果が明確だったということらしい。染まるか染まらないか、そして退色するかしないか、ですぐに結果が出たそうだ。わかりやすい分野だ。 その意味で、多くの人が挑戦して、多くの染料ができてその原理なども解明され現在に繋がっている。 さて、ここで書きたかったのは、その師匠の話だ。ホフマンという優秀な科学者なのだが、とにかく指導が素晴らしかったようだ。 弟子の回想録によると、ホフマンは必ず、1日に2回は学生たちの研究室を訪問して、指導したそうだ。しかも、初心者にも丁寧に必ず教えたそうだ。 一番すごいのは、その指導により、本人が伸びていくことだし、ホフマンが意図していたことを、自分でやったと思って自信をもたせたことらしい。指導の天才でもあったようだ。 すごい人だ。自分でさえ1日に1回も実験室を訪問しないことがあるのに、当時の忙しい天才科学者がそれ以上のことをしていたのか。ホフマンのことをもっと調べたくなった。 さて、指導者が悪かったのかな、、、とその先生の書類を読みながら思い、私に出来るのはせめて空欄を埋めることかと思い、作文を追加して返信した。 学位を取るまで指導教官があれこれフォローしていたのだろうな、指導ではなく、直接的に書類も書いていたのだろう。区分が明確な書類に、対応した言葉を書けないとなると、論文も正しくかけていないのでは? 早く去りたい、良い仲間と仕事をしたい。 ーーー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.09.03 23:50:08
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