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カテゴリ:時田屋
皆さん、こんにちは。
先日の日曜日、11/12 埼玉県行田市で行われた 忍城(おしじょう)時代祭り へ参加して参りました。(私はいつものように、撮影班♪) これが今年最後の自前甲冑(かっちゅう)武者祭りとあって、参加人数も多く、また地元の方々の熱気も熱い1日でした★ お祭りの寸劇が始まる前に、武者の皆さんがズラッと整列始めます。 風が強かったので、はためく旗がとてもかっこいい~★ 自前で、関東近県からこの日のために集まった武者の皆さん方。 お天気がいいので、写真への光がとってもキレイです♪ このお祭りの主人公とも言える【甲斐姫】役の女優さん。 めちゃくちゃ綺麗な方で、ギャラリーの皆さんもパシャパシャ写真を撮っていました。 当日、挨拶された市長さん(だったかな)が、こんな話をしておられました。 忍城はかつて、北条家の家臣の成田家が守る城でしたが、豊臣軍石田三成公がこの忍城を水攻めにしようと包囲した城。 この城を守っていた城将の娘、女武者の甲斐姫さまの活躍で、北条氏が降伏するまで持ちこたえたそう。 で、今年の夏に、石田三成公の子孫が、初めて忍城を訪れたのだそうです。 子孫のみなさんは、かつて攻撃した市民の方々にどんな扱いを受けるだろうかと思っていたそうですが、とても温かく迎えてもらって、「来年はぜひともにお祭りに参加したい」と伝え、帰っていったのだそうです。 忍城の攻防戦でも、きっと死者の数は10人そこらではなかったはず。 いくさ場には首のない死体が転がり、手柄首をたくさんぶら下げて走り回る武者や、その死体から鎧をはぎ取り農作物の被害回復に当てたい土地の農民、それを斬りつける勝った側の兵士たち。 いくさ場は昔も地獄絵図のような状態であったことでしょう。 それでも今は憎しみではない記憶となって、敵味方の子孫ともにお祭りに参加し先祖を振り返ることができるなんて日本の歴史祭り、すばらしいですね~。 世界中の戦争が早期に終結し、いつかこのお祭りのように敵味方ともに仲良く振り返る記念日とすることができたらすばらしいですね。 あの戦いで討ち死にした諸将や兵士も、切腹した北条家の方々も、また城攻めに加わった豊臣家、石田家の諸将も、きっとあの世で400年の時を越えて和解する来年の忍城祭りを、楽しみにしていることでしょうね。 ↑ときたひろしです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月14日 17時49分48秒
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