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江戸東京ぶらり旅

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投げ込み寺<新宿>

新宿の投げ込み寺


 南千住の三ノ輪に「浄閑寺」というお寺があります。都電荒川線の終点,三ノ輪橋駅のすぐ近くですよ。このお寺に埋葬された吉原の遊女は25000人にのぼるそうです。その中で,安政の大地震で亡くなった遊女,1000人ほどの遺骨が一つの穴に投げ込まれるように葬られたことから,投げ込み寺と言われるようになりました。花又花醉という人は「生れては苦界死しては浄閑寺」という句を詠みました。どうなたって良いことのない世の中,投げ込み寺に投げ込まれるだけでもよしとしなければならないのでしょうかね。

 「箕輪の無縁寺は日本堤の尽きようとする処から右手に降りて,畠道を行くこと一二丁のところに在った浄関寺を云ふのである。...この寺はむかしから遊女の病死したもの,又は情死して引き取り手のないものを葬る処で,安政二年の震災に死した遊女の供養塔が目立つばかり。其他の石は皆小さく葛かつらに蔽はれてゐた。」(永井荷風『里の今昔』より)

 さて,内藤家のお墓のある太宗寺のちょうど裏手,新宿一丁目北交差点付近,靖国通りに面して「成覚寺」があります。ここは現在の四谷4丁目あたりから新宿3丁目の伊勢丹デパートあたりまでにあった宿場,「内藤新宿」の遊女の投げ込み寺でした。

 どこの宿場もそうですが,飯盛女と呼ばれる従業員がいました。旅籠だから,お客にご飯を出してくれる給仕の女性と解釈するのはちと違う,それも仕事としていたかも知れませんが,実態は遊女。旅籠屋(宿屋)は52軒に対して150人の飯盛女だから,平均して一軒の旅籠に3人程度いたことになります。

 それでこき使われて,身も心もボロボロ,病気になっても面倒を見てもらえない。結核や性病などになれば大変。身寄りがあればいいのですが,もともと売られてきた使い捨ての女性たち。それで中にはこうした身を哀れむ男に気に入られて幸せになる女性もまれにはいたでしょうが,世の中そんなに甘くはない。亡くなった飯盛女の遺骸は,米俵にくるまれてお寺に投込まれたと言われています。お寺では身寄りのない女性たちのために無縁仏として合同で供養したのです。

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 成覚寺境内には1860年に建てられた「子供合埋碑」(写真上:遊女の共同墓地,遊女は「子供」と呼ばれていました),心中した遊女と客や宿場内で不慮の死を遂げた者を供養する「旭地蔵」があります。もとは旭町(現在の新宿4丁目)にあったのでこの名がついています。お地蔵さんの蓮華座の下の円筒の石に18人の男女の名前が彫られていますが,このうち7組は男女ペアで,飯盛女と客です。玉川上水で心中した人たちなのですね。このお地蔵さんは,「夜鳴き地蔵」とも言われて,お参りすると子供の夜泣きがなおるとされていますよ。困っている方は一度試してみてはいかがでしょう。

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