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テーマ:今日のこと★☆(106318)
カテゴリ:山の神.昔語り
今日はとてもうれしいことがありました。 山の神講はたった200年ほど前、天明の飢饉の後瞬く間に広まった安産の神さまですが、なぜ「山」の神さまが「安産」の神様になり一気に広まったのか、「山の神さま」を専門に調べている平山先生(私の先生)もわからないといっています。 わたしは生きるため子供を間引きしたといわれる飢饉や、岩手県南から登米地方まで巻き込んだといわれる仙北一揆(?)の影響では?と思っていますが、先生には証拠がない、といわれています。 宮城の山の神社の中心といわれる小牛田の山の神社も何度かの火災で古い文書はないといわれていますが、私の近在も同じです。 残っているのは石碑と講中に残された記録だけです。 調べ方は平山先生に教わりましたので、中田町に残された80前後の講中をローラー作戦で調べたら、もしかしたら証拠が出てくるかも~と淡い希望を持っています。 きょう、「福重院」ということばがまた出てきて、うれしくて今日もアップしてしまいました。
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Last updated
February 9, 2010 09:14:47 PM
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