カテゴリ:ぶらりとお出かけお泊り
上野といえば忘れてはならない人がいたわ!
と、思い立ち、考えたら近くで拝顔させて頂いた事がなかったので 西郷隆盛サンにお会いしようと不忍池を後に さくら通り方面へ足を向けます。 途中。。。 清 水 観 音 堂 清水観音堂は、 京都東山の清水寺を模した舞台造りのお堂 1631年天海により建立 御本尊は、清水寺より奉安された千手観音像を祀る 下調べなく、ついでに寄って、アトで色々調べる事の多い私。 だからたいがい後悔する事が多いのでございます 清水寺を模して作られたのならもっと別の角度で見たかったなぁ~ そうそう、こんな下からのアングルでとか パンダのお守り欲しかったなぁとか 何気に目を向けた場所にあった「墓石?!」と思ったそのカタチに 興味をそそられ、駆け寄ったのがこの~ 天海僧正毛髪塔 天海とは江戸時代初期に徳川家康に仕えた天台宗の高僧で 上野に寛永寺を創建 天海は、生年は定かではないが長命であったことは確か。 墓所は日光山輪王寺に、當山には弟子の晃海が供養塔を建立。 こちらにある天海僧正毛髪塔、普通に考えると 『天海僧正の髪が納められた塔』だと思ってしまうでしょ? でも『お坊様に毛があったの?!』とか疑問が沸くワケでして・・・ そんな疑問を解明してくれるブロガーさんはコチラ やけに立派なお墓があるなぁ~ と、しげしげ見るも・・・ 彰義隊の墓 彰義隊とは何ぞや??? 日本史は嫌いじゃないけど、知らない事は山ほど そもそも彰義隊とは 江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的とし 渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊 幕府より江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持を行ったが 上野戦争で新政府軍に敗れ解散した(wikipediaより抜粋) 正面の小墓石は、明治2年(1869) 寛永寺子院の寒松院と護国院の住職が 密かに付近の地中に埋葬、後に掘り出されたもの 大墓石は、明治14年(1881) 元彰義隊小川興郷(椙太)らによって造立 明治政府には彰義隊は賊軍である為、 政府をはばかって彰義隊の文字はないが、 旧幕臣山岡鉄舟の筆になる「戦死之墓」の字を大きく刻む。 (『写真紀行・旅おりおり』HPより抜粋) 西郷隆盛像 高村光雲作、犬は後藤貞行作、鋳造は岡崎雪聲 身長:370・1cm、胸囲:256・7cm、足:55・1cm 西郷さんのこの姿、 愛犬を連れ、兎狩りに出かける姿とか 連れだっている犬は薩摩犬の雌犬【ツン】 (最近はCMでも使われるネタになったみたい) 銅像作成時は死んでいたため、 海軍中将・仁礼景範の雄犬をモデルにして雄犬として作成 遠目からはお顔を見た事はあったけれど ココまで接近したのはたぶん初めて なんだけれど、ちょうど西郷さんの真正面は工事中の上 外国人の観光客が記念撮影中。 この方向からしか見れなかったのがちょいと残念 上野の西郷隆盛像に関する薀蓄を学びたい方はコチラへ~ ココまで巡り歩いても上野恩賜公園は 3分の1も見れて無いのでございます。 まだまだ楽しめる場所があるのになぁ~ またいつか機会があったら、歩いてみたいものです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年07月16日 08時23分51秒
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