435739 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

高知に自然史博物館を

高知に自然史博物館を

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

rhyssa05

rhyssa05

Freepage List

Archives

November , 2024
October , 2024
September , 2024
August , 2024
July , 2024
June , 2024
May , 2024
April , 2024
March , 2024
February , 2024
January 2, 2009
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 英語教育の話が出たついでに,最近感じていることを書きます.たぶんご賛同頂ける方は少ないと思うし,私もあまり確信がありません.ひとつの「試論」ぐらいに読み流して頂ければ幸いです.


 昔,こんな話があった.
 日本人は右脳と左脳の使い分け方が,多くの外国人とは違うというのである.たとえばコオロギなど虫の音を日本人は左脳で処理する.外国人は右脳を使う.そのせいか日本人は虫の音を愛でるのに対し,外国人は雑音として聞く.
 左右脳の使い分けの差は言語と関係している.発育発達過程のクリティカルポイントが7歳前後にあって,その頃の言語環境が日本語であるか外国語であるかによって,日本人脳になるかどうかが決まる.

 このテの実験は何年か経つとあっさり否定されてしまうことが多々ある.だから上記の説も今どうなってるのか判らない.ただ,この説が多少とも正しいと思えるのは,私は外国で暮らした日本人夫婦の話を聞く機会がけっこうあったからだ.小さな子供は現地語をすぐ覚えるのだけれど,日本に帰って来てから困難に直面したというような,たとえばそういう話である.もちろん同じ状況に置かれても,誰もが同じ困難を経験するとも限らない.
 しかし一般論として,言語能力の発達にクリティカルな時期があるだろうということは十分に予想できる.またそういう時期に,不用意に子供をバイリンガル環境に置くことが,子供の脳に大きな負担をかけるだろうという事も,十分考えられる.

 そういう主張をすると,必ず引き合いに出されるのがインドの英語教育である.確かに,インドやパキスタン,スリランカ,バングラデシュあたりから日本に来ている人たちは,みな英語に堪能である.それはインドでは小学校から全ての授業を英語でやっているからだ,という話も聞く.いや必ずしもそうでもないという話も聞くし,本当のところは知らない.私はインドに行った経験はないが,バングラデシュでの経験では,首都ダッカではともかく,地方の村では英語が通じる人は稀であった.地域や階級により大きな差があるらしい.全員が義務教育を受ける日本とは事情がかなり違うのでないだろうか.
 ヨーロッパでは異なる言語が混在する地域はたくさんある.また少し旅をすれば,他言語を体験する機会も多い.そういう事情からか,いくつかの言語を操る人も多い.モーツァルトは子供の頃から父親に連れられて旅をした.おそらく彼は数カ国語を操ることができただろう.ただ,ヨーロッパの言語の多くは互いに似ている.社会の習慣も似ている.日本語と英語というように,文化的背景も言語そのものも非常に違っている場合とは別枠で考える必要があると思う.

 人が言語を習得するのに,2つの道がある.ひとつは子供が言語を習得して行くような方法である.いわば人間本来の言語習得の方法である.もう1つの道は,母語を習得した成人が他言語を習得する時に見られる.単語を1つずつ理解し,時には文法に頼り,といった,まことに不自然な方法である.選べるものなら前者の方法のほうが良い,と一般に考えられている.
 これには異論がなさそうに見える.それに日本の伝統的な学校英語は,難しい単語や文法が多かった.これは大学受験との関係もある.伝統的な日本の大学が,英語で日常会話ができることよりも,難しい英文を読み解く能力を,学生に求めてきたことも確かだろう.それに会話能力を採点するよりは,ペーパーテストのほうが実施が容易であっただろう.
 いずれにせよ,従来の学校英語や受験英語ではダメで,もっと実践的な英語教育を,と要望する人は昔から多かった.そして実践的となるとその最良の方法は,英語環境に置かれた子供が自然に英語を習得するように,それに似せた環境を造ることかもしれない.
 こういう常識について,ひとつだけ指摘するならば,意図的に理づめで習得された英語は,いつまでも記憶の中に残る.そして何年経っても,ぎこちないながらも英語でコミュニケーションをとることができる.これに対し,英語環境に投げ込まれ,必要にかられて「子供が言語を習得するように」習得された英語は,必要が去れば,子供が言語を忘れ去るように,さっさと忘れ去られてしまうものである.

 話をもとへ.
 上記のような事情で,「子供が英語を習得するように」という教育思想が普及した.その教育思想が,「子供に英語を習得させよう」という着想に至るのは容易だっただろう.従来の方法に対する反省が,こんどは逆方向に過度に針を振れさせてしまったように見える.
 いま,英語教育の低年齢化が進んでいる.小さな頃から英語を身につけさせようという意図らしい.推進している人たちは,何をめざしているのだろう.バイリンガルか,それに近い子供に育てたいのだろうか.それは実現すればすばらしいかもしれないが,人類進化の歴史の中で普通には起こらなかったことだろう.いわば不自然な状態であり,脳にしてみれば「想定外」のことに違いない.
 2つの言語を,クリティカルな年齢の子供たちが,うまく交通整理できるだろうか.脳に過度の負担をかけさせるよりも,この年齢の子供にはしっかり日本語を教えて,立派な日本人脳を育てることの方が,むしろ大切なのではなかろうか.





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  January 2, 2009 10:04:24 AM
コメント(0) | コメントを書く


Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

背番号のないエースG@ Re:キットカットチョコレートの物語(07/29) 「風の子サッちゃん」 ~ Tiny Poem ~…
矢野 環@ Re:フグの川登り(03/02) フグ を 河豚 とかくのは、中国での文…
通りがけ@ ◎上杉鷹山公「参姫への手紙」  あなたはまだ稚(おさな)いので、人々…
通りがけ@ ◎上杉鷹山公「参姫への手紙」 別途述べた上杉鷹山公が隠居後に江戸屋…
通りがけ@ ◎上杉鷹山公 山形県にある日本古来古武術空手道場和道…

Headline News


© Rakuten Group, Inc.
X