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今日は政治とも博物館ともあまり関係ないお話です.
トムピリビは2そう,お船を持っている 世界中の宝,さがしに行く 幸せなトムピリビ 大金持ちのトムピリビ ご存じ「トムピリビ」のダークダックス版です. http://www.youtube.com/watch?v=Oy9_2-1lsU0 トムピリビは2隻の船を使って大金持ちになりました.さて,どんな「宝」を見つけたんでしょうね. 彼の本名はトマス・ドーバーだった,というのが私の初夢です.英国ブリストルの町で商人たちが出資して所有していた2隻の船,Duke 号とDuchess 号.彼はその主要な出資者の1人でした.また,これらの船の用途や管理について決定権のある委員会の委員長でもありました. 1708年,Duke 号とDuchess 号は連れ添って航海に出ます.船団のリーダーはウッズ・ロジャース.水先案内には高名な船長ウィリアム・ダンピエ(William Dampier).そして指揮系統のナンバー3には,われらが主人公トマス・ドーバー氏.つまり委員長みずから船に乗り込んでの航海となりました.ロジャース船長の著書「1708-1711の世界一周航海」(Woodes Rogers "A Cruising Voyage Round the World, 1708-1711")が航海の様子を今に伝えている. この航海は日本でもよく知られている.それは1710年2月はじめ,一行はチリ沖のホアン・フェルナンデス諸島(Juan Fernandez Islands)で1人の男を発見したからだ.それはアレクサンダー・セルカークという名のスコットランド人だった.ご存知,ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人です. セルカークは4年と4か月前,乗っていた船 Cinque Ports 号のStradling船長と意見が合わず,この島に置き去りにされた.以後ドーバー氏たちと出会うまでずっと,ここで1人で暮らして来た. 詳細はわからないけれど,ダンピエ氏もセルカークをよく知っていて,彼は非常に優秀な船員であることを証言.こうしてセルカークはめでたく一行に受け容れられた. その後,この2隻の船は南米大陸に沿って太平洋を北上,グワイヤキル市(現在はエクアドル領)を2度襲撃したほか,いろいろ海賊行為を重ねて財宝をたっぷりと積み込んだ.ドーバー氏はしばしば戦いの先頭に立って指揮をとったそうです.そしてインド洋を経由して帰国した. 話は変わって... じつはドーバー氏の本来の職業は商人ではなくて医師でした.彼の経歴をなぞってみると: 1660頃 Warwickshire で生まれる. ケンブリッジで医学を学び,1683年ころに学位(学士号)を取得. 以後ブリストルに住む. 1708 - 1711 航海に参加 帰国後,ブリストルで医師として働く. 1721 ロンドンに移る. 1728 Gloucestershire に移る 1735頃 再びロンドンに移住. 1742頃 死亡. ちょいと蛇足. 英国の地名で〜shire というのは,「州」の名前です.Warwickshire の州都が Warwick,Gloucestershire の州都がGloucester. 地図で見るとWarwickshire と Gloucestershire は隣接している. Warwickshire で最も有名な町が,かのシェークスピアの町 Stratford upon Avon.またGloucestershire には有名な町はないけれど,州のすぐ南西に接するようにしてブリストル市がある. ドーバー氏は本を書いている.この著書から医師としてのドーバー氏をうかがい知ることができる. Thomas Dover, M. D. "The Ancient Physician's Legacy to His Country." この本の初版は1732年.以後何度も改訂されて,彼の死後も改訂版が出た.第8版は1771年に出ている. ここで著者名のM. D. というのは肩書きです.つまりMedical Doctor(医学博士).これも注釈が必要かな. 医者のことを世間ではドクターといいます. Are you a doctor? (あなたは医者ですか?)というのが世間一般の用法.一方,doctor とは「博士」のこと.ドーバー氏は学部卒なので「博士」の肩書きは持ってないはずだけど,M.D.(医学博士)を名乗っている.正確にはMedical Bachelor (医学士)のはずですが,世間一般には(現代でも,当時ならなおさら)ドクターで通用したのでないでしょうか. 1708年の大航海に加わった時点で彼はすでにブリストルの町では名士だった.かの2隻の船にかなりの額を出資したと考えられる.金持ちでもあったし,医師としても評判が良かった.当時の英国で最も有名だった医師トマス・シデナムに学んだという逸話も,上記の本に書かれているらしい. 医師ドーバーの名が今日まで知られているのも,この著書のお陰でしょう.ウィキペディアで「ドーフル散」をひいてみてください.アヘン(阿片)とトコン(吐根)の混合薬で,たぶん現在でも使われることがある.「ドーフル」とは「ドーバー」のオランダ語読みだそうです. トムピリビは2羽の,オウムを飼っている 赤いオウムと青いオウム 2羽のオウムは頭が良くて アラビア語もシナ語も何でもしゃべる 幸せなトムピリビ,何でも知ってるトムピリビ トムピリビは幸せな人だった.財政的な豊かさだけでなく,知的な豊かさをも享受していた.私にはトムピリビがドーバー氏と重なって見える.もう一度,ドーバー氏について要約してみます. 1.評判の良い医師であった.「ドーフル散」の発案者として現在にまで名を残している. 2.海賊であった.2隻の船で大金持ちになった. 3.南米沖で「ロビンソン・クルーソー」を発見した. なお,ドーバー氏のことを以前このブログで書いたことがある(2009年5月16日の記事「医師ドーバーの物語」). http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/200905160000/ この記事と今回の記事との間には微妙に不一致がある.その理由は参照した資料が違うからです.その程度の正確さ,だと思って読んでください. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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