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売場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2019.11.14
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先月ニューヨーク出張の際に立ち寄った五番街の百貨店「サックスフィフスアベニュー」本店、これまで他店の追従を許してこなかった化粧品売場をさらに拡充するため2階に拡大移設して失敗したとは聞いていましたが、ここまで人影がなくなるとは想像していた以上でした。写真をご覧ください、お客様の姿はほとんどないですよね。

(正面入口近くの新設エスカレーター)

(メインフロア奥にある中価格のバッグ売場)

(2階に上げた化粧品フロア)

(ブランド商品揃えた4階婦人服)

(誰もいなかった6階紳士服)

(人気のあった8階婦人靴まで人影少ない)

サックスは同時多発テロ事件のあと再開発されたダウンタウンのショッピングモールに新しく支店を出しましたが、早くも今年閉店しました。2年前新店に行ったときお客様の姿はほとんどなかったのでおそらく将来閉じるだろうなと予想していましたが、たった2年の営業でクローズ。先月の本店は2年前に見た新店とほぼ同じ情景、どのフロアを歩いてもお客様の姿はほとんどありません。2年前まではかなり賑わっていたメインフロア(当時はまだ化粧品がありました)と8階婦人靴売場でさえ極端に客数少なく、果たしてこのまま何も手を加えず営業続けるんでしょうか。

(ヘンリベンデル解散後のHP)

若い方はご存知ないかもしれませんが、かつてマンハッタンにはたくさんの百貨店あるいはファッション大店がありました。私が大学卒業後ニューヨーク生活を始めた1970年代後半から、多くのストアが倒産あるいは閉店に追い込まれました。どういうストアがあったのか、消えたストアを列記すると....。

五番街ティファニー本店の隣には、かつて「アメリカの衣装箱」とも言われた高級店「ボンウィットテラー」がありました。新人だったカルバンクラインに最初にオーダーを入れた店でした。ボンウィット倒産後ここに店を構えたのが「ギャラリーラファイエット」。しかしパリの百貨店もここではうまく行かず閉店、現在この場所はあのトランプタワーになっています。

エンパイヤステートビルの斜め前、五番街34丁目の角には百貨店「B オルトマン」がありました。五番街からマジソン街、東34丁目から35丁目までの大きなワンブロックを占有していた百貨店ですが、これも倒産してしまいました。地味な印象しか残っていません。

そのすぐ近く徒歩1分の西34丁目には「コルベット」という大衆店がありました。日本の百貨店を見慣れた目にはとても百貨店とは呼べないような安物商品を並べたストア。昔はエンパイヤステートビルにやってくる観光客に受けたかもしれませんが、なんとも魅力のない館でした。確か近所には「オーバックス」というやはり大衆店もあったと記憶しています。これも早く消滅したので場所は間違っているかもしれません。

ここから西34丁目をさらに西方向に歩くと、World Largest Storeの看板を掲げる「メイシーズ」があります。一度はチャプター11(事実上の倒産)を体験しましたが、いまもこの場所で営業を続けています。このメイシーズと共に世界的に有名なマンハッタンの感謝祭パレードのスポンサーを長年担ってきた「ギンベルズ」も私が住んでいた頃に倒産して消滅しました。

世界の百貨店が一時期お手本にしたと言われる「ブルーミングデールズ」の隣、レキシントン街東58丁目には、これまた百貨店とは呼べないような大衆店「アレキサンダー」がありました。西34丁目のコルベット同様安物商品が山積みしてあるストアでした。

元々レキシントン街は所得の高くない住民が多く住んでいた場所、ブルーミングデールズが路線変更して高級化を図ったときその場所ゆえに国内ベンダー(取引先)候補はほとんど理解を示してくれず、仕方なしにニューヨーク事情に疎い海外のベンダーと取引交渉。だからのちに世界の百貨店が真似をした「カントリープロモーション」(国ごとの全館イベント)を開催するようになったそうです。最近はレキシントン街の家賃は上昇、でも五番街に比べるといまも通りはゴチャゴチャ感があります。

私が帰国するのが1985年、それ以前に多くのストアは消滅しました。70年代後半カーター政権時代のリセッション(景気後退)が倒産の一要因だったかもしれません。

そして、21世紀に入ってからもどうにか営業を続けてこれた名門ストアもいま再び受難の時代。五番街西38丁目にあった老舗百貨店「ロード&テイラー」本店はついに閉店しました。企業としてはサックスと同じカナダのハドソンベイ社(イングランドの国策会社として1600年代に設立された北米最古の会社)傘下で名前だけは留めています。

ラグジュアリーブランド大型直営店が建ち並ぶ五番街で営業してきた「ヘンリベンデル」(西56丁目。以前は西57丁目でした)、そのチョコレートブラウンとホワイトのストライプ柄ショッパーや小物雑貨は日本でも有名ですが、今年の初めに閉店し、全国のモールにあった支店もすべてクローズしたようです。かつてモデルやスタイリストたちに重宝され、新人発掘のインキュベートストアだったファッション大店、その完全消滅は時代を反映しています。

そして二度目のチャプター11を申請した「バーニーズニューヨーク」、結局リアル店舗は維持できず閉鎖されるそうです。今後はサックスの中でインショップ形式のセレクトゾーンとして名前だけは残すとか。でも人影がほとんどなかったサックスが実際に継承できるのでしょうか、ちょっと疑問です。

私がバーニーズのお手伝いをしていた1980年代初頭、マンハッタンのアッパーウエストに数店舗構えるセレクトショップ「シャリバリ」はどこのショールームに行ってもバッティングする、バーニーズにとっては最大のライバルでした。バーニーズとはマンハッタン市場の独占契約取得を巡って激しく争奪戦を演じたストア、百貨店ではありませんでしたが先端ファッションを扱うカッコいい店でした。でも、早くに倒産してしまいました。

シャリバリのほか、ニューヨークのファッション事情を語る上で欠かせないセレクトショップが「ダイアン B」でした。当時ブティックがほとんどなかった倉庫街のソーホー地区に大型のコムデギャルソンFC店をオープン、そのロケーション、スペースの大きさで業界を驚かせました。ソーホー地区がファッションの街になったのはコムデギャルソンが開店した後のこと、ダイアンの時代を読むアンテナは狂っていなかったと思います。しかし資金繰りに行き詰まり、結局この白っぽいコンクリートの店はコムデギャルソンに売却、その後に会社は倒産しました。

日本でも百貨店がどんどん消滅しています。私が松屋に入った1995年当時、銀座には松屋を含め百貨店が7つあり、店長たちの「七店会」という交流会がありました。しかし、現在百貨店として営業を続けるのは松屋、三越銀座店、阪急メンズ館の3つ、7店が3店ですから半減です。

地方都市にある大手百貨店の支店の閉店が加速しています。最近はほぼ毎月のように百貨店閉店決定のニュース、最終日にシャッターが閉まりきるまで整列して深くお辞儀する社員の姿がニュース映像でテレビで流れます。こんな映像はこれからもっと増えるでしょう。

考えてみれば、自分自身もネット通販の利用が随分増えました。ギフト、嗜好品から生活用品まで、いつの間にか商品ジャンルはかなり広範になり、リアル店舗の利用は減りました。こういう消費者は全国でどんどん増えているでしょうから、今後大型小売店やショッピングモールは抜本的な改革策を講じない限り消滅はまぬがれない。社会の関心高まる「食」に手を出さない米国百貨店はなおさら、このままでは消滅しかありませんね。






Last updated  2019.11.14 00:52:23

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