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売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2024.07.26
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カテゴリ:太田伸之
昨日まで6泊7日で中国の上海、杭州、寧波の3都市それぞれ2泊ずつの旅から戻りました。杭州で中国ファッション業界人向けセミナー、寧波で最大手企業の社員研修をさせてもらいました。中国は歴史長いし、人口は多い、領土は広いので毎回たくさんの学びがありますが、今回もいろんなことを勉強、驚いたことがたくさんありました。一番の驚きは中国における蒋介石の扱いです。

第二次大戦後、毛沢東率いる中国共産党と蒋介石率いる国民党は激しい覇権争いを演じ、劣勢になった蒋介石とその支持者は中国のお宝をたくさん携えて台湾に移住(台北の故宮博物館と北京のそれとでは展示物の希少性で大きな開きがあり、台湾は素晴らしいお宝を多数展示しています)、以来中国と台湾の対立関係は続き、米国ニクソン大統領の電撃訪中で台湾は国連安保理国の権利を取り消され、世界の表舞台から消えました。

中国共産党の方針として将来台湾を統合する計画だそうですが、台湾と中国政府の関係は年々微妙になり、いまにも台湾海峡を中国が進軍するのではないかとも噂され、緊張が高まっています。そんな中、私にはちょっと信じられない光景を寧波市郊外の観光地で目にしました。簡単に言えば蒋介石の復権です。


蒋介石旧邸宅関連施設の案内図


「蒋氏故居」は蒋介石が台湾に渡るまで暮らしたお屋敷


旧邸宅エントランスの表示


蒋介石一家の施設を示す道案内



蒋氏の店舗


蒋介石最初の夫人毛複梅さんが日本の空爆で亡くなった場所

毛福梅さんを祀るお寺


毛福梅さんのお墓

蒋介石は浙江省寧波市出身、彼の生家(塩問屋を営み、裕福な家庭だった)、居住していた屋敷、日本軍の空爆で亡くなった最初の夫人のお墓や菩提寺、貴重な文献や写真展示場などがあり、セミナー主催者が息抜きに連れて行ってくれました。最初蒋介石の旧邸宅一帯が観光名所と言われたとき、台湾と中国の昨今の情勢からピンときませんでした。炎天下でも多くの中国人がここを訪れていたのには驚きました。

世界大戦後、毛沢東らに敗れ台湾に逃げた蒋介石の名が中国で普通に語られる、中国共産党もそれを許している、明らかに中国における復権と言ってもいいでしょう。文化大革命時代はこんなことは許されなかったようですが、現在は蒋介石の再評価が進み、現在の台湾と中国政府の緊張関係からは想像できない構図がここにはありました。


日本軍の中国占領を阻止するために協力関係を築いたときもある


共産党毛沢東(左)と国民党蒋介石(右)が乾杯をする写真

1939年、蒋介石の邸宅を狙って日本軍は空爆、毛福梅夫人は屋敷の外に逃げようとして倒れてきた壁の下敷きになって死亡した、と。日本人のひとりとしてなんとも複雑な思いでその解説を伺いました。のちに蒋介石は浙江財閥の大金持ち宋家三姉妹の三女宋美齢(次女は孫文の夫人、宋慶齢)と再婚、一族の資金的バックアップがあったと聞いています。

そして蒋介石は中国進出する日本軍に抵抗、宿敵中国共産党の毛沢東と手を組むいわゆる「国共合作」で共産党と共に日本軍と戦いました。そのときの貴重な写真も古いギャラリーに掲示されていましたが、中国共産党の英雄毛沢東とライバル蒋介石のツーショットが中国出張で見ることができるとは全く想像できませんでした。

現在の台湾は蒋介石の流れを組む国民党がどちらかと言うと中国共産党寄りの政策、一方政権与党の民進党は中国と距離を置く政策を掲げています。このことと蒋介石一家の邸宅を公開して観光地にしていることとは少なからず関係があるのかもしれません。私たち日本人はついつい台湾が中国共産党政権と敵対しているように感じますが、どうやら両国の関係はそう単純ではなさそうです。歴史5千年の中国は奥が深い。





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Last updated  2024.07.26 12:11:36


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