小川健太郎という投手がいた
二宮清純のコラム「追憶のベストゲーム」(週刊現代)を読んでいたら、世にも不思議な投手のことが目に付いた。
中日の元エース「小川健太郎」である。
小川健太郎は1967年に最多勝、沢村賞、ベストナインに輝いている。右投げアンダースローで背番号は13。生涯成績は95勝66敗。防御率2.62
彼が活躍した時代はおいらが高校生のころだから、その頃のカープのエースは外木場や安仁屋である。この小川健太郎はカープに強かったという記憶がある。
さて、ここからが本題である。
その小川健太郎、1969年6月15日、後楽園球場でのジャイアンツ戦(巨人対中日9回戦)であっと驚く偉業を行うのである。
ピッチャーは小川、キャッチャーは木俣、打席には世界の王。
ここで、小川は腰の後ろの左側から(彼は右投げ)、つまり、背中からホームに向かって球を投げたのである。
少々理解しづらいと思うのだが、通常の球を投げる方法以外に考えられるものとしては、左脚を上げてその下から(つまり、マタから)投げる方法がある。小川健太郎は右投げでアンダースローだから、左脚を上げていれば投げやすい。
次に、曲芸もどきの方法として、右腕のアンダースローを背中にまわして背面の左側からホームに投げるという方法がある。ちょっと分かりにくいので、ユーチューブで検索すると類似の映像があるので興味のある方はご覧あれ。
そして、小川は背面から投球したのである。
木俣は云う。
「小川さんは王さんを苦手としていた。どこに投げても打たれる。だから、違う投げ方を練習していました。試合前、主審に背面から投げるとボークになるかと聞いたら、『どうぞ』と云われたので決心したんです」
ボールは小川が練習したとおり、木俣のミットにすっぽりと収まった。判定は、残念ながらボール。
二宮清純によれば、ボールを投げ終わった小川は「してやったりとでも言わんばかりに薄ら笑いを浮かべ、打席の王をチラリと見やった」という。
王は、流石に最初はキョトンとしたらしい。
このボールの狙いはそのキョトンである。どこからボールが来るか分からなければ、世界の王でも困るだろう。打の要はタイミングである。王の結果は、ライトフライと三振だった。
小川は、この奇想天外のボールをもう1試合でも王に対して投げているという。
さて、この話には後日談がある。この投法が不正投球ではないかとして「プロ野球ルール委員会」にかけられたのだ。結果は正規の投球として認められたのだが、王選手に失礼だというブーイングもあったらしい。
これに対し、小川健太郎が云ったという言葉。
「何ならマタの下から投げてもいいんだぜ!」
怪人である。嬉しいのぅ~。
残念ながら、小川健太郎はその後、オートレース八百長事件に加担していたという容疑で球界を永久追放されている。だが、こういう破天荒なピッチャーが今の時代にいないのは寂しい、と思うのはおいらだけだろうか。
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謎の不良中年 柚木惇 Presents
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Re:小川健太郎という投手がいた(09/02)
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yasumaru27 さん |
なつかしいですなー。小川健太郎の背面投げ私も中学校の時練習した覚えがあります。
彼は、東映に入団してけんかのため一軍を降ろされ、首になって、9年間アマチュア生活をしたのち、30で中日に拾われたそうです。その後、実質6年間で100勝近くをしたのち、桑田などとともにオートレースの八百長に絡んで、エースの座のまま追放されたそうです。数年前小川健太郎物語のようなものが出たのを記憶していますし、トリビアで背面投げの特集があったと記憶しています。いずれにしても記憶にしっかり残る人ですねー。
懐かしい名前をありがとうございます。
(September 2, 2011 11:30:55 PM)
yasumaru27さん
書き込み有難うございます。背面投げの練習をされたというのが良いですねぇ。小川健太郎、評価されてしかるべき投手だと思います。
謎の不良中年
(September 3, 2011 09:25:52 AM)
Re:小川健太郎という投手がいた(09/02)
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おけい さん |
まずは、記事をありがとうございます。私は、現役時代の健太郎さんを知りません。親戚で、お正月などで集まる時、いつも無口なおじさんくらいで、プラン野球選手だったなんて、本人もおっしゃらず、私の父親の虚言だと思ってました。苦笑。奥様が、父親と兄弟だったので、なくなる直前に、私の兄の結婚式に会ったのが最後でしたが、甘いものは食べないと、私に譲ってくれた思い出があります。葬儀には、スポーツ新聞の記者の方々が沢山いました。壮絶なガン闘病のお話を叔母さんから聞き、芯の強い方なんだとよくわかりました。
息子さんも野球を頑張っていましたが、プロにはなれませんでした。
なんの因果か、私の息子は野球をやっています。健太郎さんが生きていたら、指導をお願いしていたかもしれません。きっと、健太郎さんは、好きにやりなさいとしか言わなかったと思いますが。笑。健太郎さんについて、コメントできる解説者はもういないと思いますが、いつか、私の息子がプロ野球選手の一員になれたらと願っています。
(October 28, 2019 09:12:09 PM)
Re:小川健太郎という投手がいた(09/02)
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謎の不良中年 さん |
おけいさん
心温まるコメントありがとうございます。
それより前にコメントに気付くのが遅くなりまして本当に申し訳ありません。素晴らしいコメントです。
おいらがいつも思うのは、若いときの感銘と歳を取ってからの感銘とどちらが重いかというときに、おいらが若いときは未熟だから何でも感動する、他方で熟年になると経験がものを云うので感動が薄れるのではないかと思っていたことです。
しかし、それは浅慮で、歴史を学べば自分の年齢に関係なく、感銘をうけるときは感銘を受けるということに気付きました。
小川健太郎氏は間違いなくそういう人で、いつの世になっても感銘を与える人だと思います。
そういう素晴らしい人をご親戚にお持ちになっていらっしゃるということは、それ自体が何らかのエネルギーにつながるのではないかと思います。
そのエネルギーが息子さんのプラスになられることをお祈りしています。
謎の不良翁
(November 9, 2019 11:10:40 PM)
Re[4]:小川健太郎という投手がいた(09/02)
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おけい さん |
謎の不良中年さんへ
返信ありがとうございましたm(__)m
わたくしも、返信に気づくのが、遅くなり、申し訳ありません。
とても嬉しい、そして素晴らしいアドバイスありがとうございます‼️
息子にも、もうひとつのフィールドオブドリームスを読んでもらいました。遅咲きでも、こんなに努力してプロになった人が身近にいること。野球が好きならば、挫折をしても、道は沢山あることをわかって貰えたと思います。
黒い霧の事件は、今だったらもしかしたら永久追放とまではならなかったのかな。と少し思いますが、時代ですね
(November 11, 2019 08:54:34 PM)