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ブログ「カルトからの自由」掲示板より
>(2)取材対象者を特定価値観によって誘導し、己の価値観に都合良く感染させる。 まず目を引くのが「感染」という語句だ。病原体が体内に侵入することを意味する語句であるから、米本氏の価値観がそれ(病原体)に近いものだと言いたいのだ。これも十分に名誉棄損に値する。 「あなたの考え方に感染しちゃった」という軽いノリで使われることもあるが、ここでの定義はそういう軽いものではない。なんたって「カルトごろつき」という侮蔑に満ちた内容を定義しているのだからな。 では、米本氏は「取材対象者を特定価値観によって誘導」しているのだろうか? 「我隣」の取材対象の中で、この定義に外れる者が1人でもいれば、この定義は否定される。むろん、定義に外れる者といっても、初めから「検証対象ではない者」は含めない。 例えばヨシュア2002くんも「我隣」の取材対象ではあるが、「検証対象」ではない。米本氏の価値観に感染していないからだ。他の牧師・弁護士なども、「我隣」において取材対象ではあるが、この定義を検証する対象にはなりえない。 要は、ヨシュアくんが救ってあげたのに、ヨシュアくんを裏切って、ヨシュアくんに不利な証言をしている「我隣」の登場人物が、検証対象ということになる。その意味では、「我隣」に登場する統一協会の人間たちは、検証対象ではない。もともとヨシュアくんに対立する立場の者たちだから。 このように突き詰めていくと、検証対象はかなり少ない人間に限られることが分かる。麻子女史、美佐女史、裕美女史、KH婦人くらいである。この中の1人でも、(2)の定義に外れる者がいれば、定義は誤りとなり、ヨシュアくんの名誉棄損が確定する。 じゃあ、麻子女史を検証してみよう。麻子女史は、2000年6月からホームページ上で日記を書いている。同年10月13日の日記に、次のように書かれている。 「10月のつれづれ」より >私は、監禁者が肉親で有る事を理由に、 >警察も法も、誰も私を助ける事が出来ず、 >むしろ社会不適応者は、 >家族で監禁し抹殺しても構わないという、 >暗黙の了解事項が日常的に行使されている >と言う事を、実際に体験している。(中略) >監禁の恐怖を、カルトのコントロールに >摩り替えないで欲しい。 >私の意識に中ではそれらは、全く別物です。 >絶対に誰も助けに来ないと確信できる監禁、 >体験すれば分かると思います。 >そうした密閉空間で、監禁者の狂人に >「ここで、おまえと一生このまま居よう」 >と言われるの。やってみます? まさにこの証言は、ヨシュア2002くんたちのような「拉致監禁などしていない」という者にとって不利な証言だ。これは、米本氏の特定価値観によって誘導され、その価値観に感染されたからなのであろうか? この証言を麻子女史は2000年10月にしている。しかし、米本氏と麻子女史が初めて会ったのは、「2002年の夏、彼女が38歳のときだった」(「我隣」P31)。つまり、米本氏と会う2年も前から、麻子女史はヨシュア2002くんに不利な証言をしているのだ! これで、麻子女史が「米本氏の特定価値観によって誘導され、その価値観に感染されたから、ヨシュア2002くんに不利な証言をした」という説は否定された。よって、ヨシュア2002くんの米本氏に対する名誉棄損が成立するのである。 しかし、「我隣」を読んでみると、米本氏の言動が麻子女史に影響(感染ではない)を与えていることは分かる。少し抜粋してみる。 まずは、麻子女史の両親が親子3人で暮らしたいと思ったが、麻子女史は長年慰めてくれた猫のミーちゃんを捨てられずに悩んでいたころの話だ。 (「我隣」153Pより引用) 猫のことで相談を受けた私は電話口でこう答えた。 「ご両親が話す通り、戸塚教会のそばにいるのは精神の回復にとって、マイナスになることはあってもプラスにはならない。猫は私が引き取るから、両親と一緒に暮らした方がいい。お父さんお母さんは拉致監禁を悔いているのだし、黒鳥牧師に対する考え方は麻子さんとほとんど同じになっている」 (引用ここまで) そして、親子3人で暮らすようになった麻子女史は、PTDSと戦いながら、懸命に社会復帰を目指す。そしてついに麻子女史は、会社にPTSDを理解してもらい、正社員となった。 (「我隣」155Pより引用) 私は築地の寿司屋でお祝いの一席を設けることを計画し、麻子と両親を招待した。ビールで乾杯したあと、麻子は両親に花束を送った。 「お父さん、お母さん、これまで苦労かけてごめんね」 両親は「ほんとうにもらっていいの」と戸惑ったあと、こぼれるような笑みを広げた。 麻子が高田馬場で拉致されてから13年後のことである。 (引用ここまで) 米本氏の言動は、確かに麻子女史へ影響を与えている。しかしそれは、「感染」などという侮蔑に満ちた影響ではない。まったく逆である。キリスト教牧師が修復できなかった親子関係を、キリスト教牧師に「カルトごろつき」と呼ばれる米本氏が、みごとに修復したのである。 キリスト教牧師と、「カルトごろつき」の「統一協会お抱えジャーナリスト」米本氏の、どちらが人の魂を救済したのか、一目瞭然ではなかろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.06 21:26:46
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