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カテゴリ:ソチオリンピック
こんにちは、今日はジャンプ団体、銅メダルの軌跡をお贈りします。まずは過去の オリンピックでの記録を調べてみました。団体戦が種目となったのは1992年のアル ベールビル(フランス)からで、葛西選手は19才でオリンピック初出場でした。 1992年 アルベールビル(フランス) 上原子次郎、須田健二、原田雅彦、葛西紀明 4位 1994年 リレハンメル(ノルウエー) 西方仁也、原田雅彦、岡部孝信、葛西紀明 銀メダル 1998年 長野(日本) 原田雅彦、岡部孝信、斉藤浩哉、船木和喜 金メダル 2002年 ソルトレイクシティ(米) 原田雅彦、宮原秀治、舟木和喜、山田大起 5位 2006年 トリノ(イタリア) 岡部孝信、葛西紀明、一戸剛、伊東大貴 6位 2010年 バンクーバー(カナダ) 葛西紀明、伊東大貴、竹内択、栃本翔平 5位 2014年 ソチ(ロシア) 葛西紀明、伊東大貴、竹内択、清水礼留飛 銅メダル
1番手は若さの清水礼留飛です。1本目132.5m、2本目131.5mと2本とも大ジャンプ を揃え、1番手の役目をしっかり務めました、
2番手は難病と闘いながら挑んだ竹内択選手です。1本目は不利な追い風となり127m とちょっと飛距離が足りませんでしたが2本目は130mを飛び3位をキープしました。
3番手の伊東大貴選手です。1本目130.5m、2本目132mと2本とも素晴らしい ジャンプでした。
2本目を飛び終えて痛めていたひざが限界にきて倒れこみます。
そして最後に飛ぶのはもちろんこの人葛西紀明選手です。
1本目134m、2本目も134mと安定した大ジャンプでした。
最後の葛西選手のジャンプを手を合わせて祈る竹内選手です。
銅メダルが決まった瞬間、葛西選手に集まり歓喜します。
みんなの力で勝ち取った銅メダルです。
いやもう一人、5人目の渡瀬雄太選手がいました。残念ながら団体のメンバーから 外れました。
リザーブという立場で、いつ出番がきてもいいようにと、団体戦の前日、ナイターで一人 練習する渡瀬選手です。
伊東選手は渡瀬選手を気遣い、渡瀬選手のバッグから手袋を取り出し、「ちょっと 手袋を借りていきますわ」と言って、団体戦に挑みました。
自分のことで精一杯のはずなのに、わざわざ俺みたいなものためにこいうことまで考えて くれて本当にありがたいですと話していました。
そして5人、みんなの絆で獲った銅メダルです。
サッカーやバレーボールなどの団体競技では、登録された選手であればたとえ出場機会 がなくてもメダルは全員貰えます。しかし冬の団体競技には控えの選手には貰えないよう です。これは団体といっても個人の成績の総合点で競うからでしょうか? でも控えの選手も代表選手と同様に練習し、またサポートに回り、ある意味代表選手より も頑張っており十分にメダルに値すると思います。今後の大会でぜひ検討してほしいと 思います。また帰国後の報道でも控えの選手はなかなか取り上げられず、テレビ出演も 代表選手だけです。控え選手の話も聞きたいですし、なにより次のオリンピックの主役に なるかも知れないのにと思います。
それでは今日はこの辺で、次回は女子フイギュアの浅田真央選手の軌跡をお贈りします。 お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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