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turbo717's Activity 

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茶臼小屋→上河内岳→聖平小屋

南アルプス_聖岳_赤石岳_登山日記(2)


茶臼小屋(2480m)→奇岩「竹内門」→上河内岳(2803.6)→亀甲状土のお花畑→南岳(2702m)→聖平小屋(2260m)


本州付近は弱い気圧の谷。雨の所が多くなる。





さて、今日は、2005/8/9~8/13の南アルプス登山紀行第2日目の日記(8/10分)を掲載します。

全行程は、易老渡(いろうど)→易老岳(いろうだけ)→茶臼岳→茶臼小屋→上河内岳→南岳→聖平小屋→聖岳→兎岳→中盛丸山→百間洞山ノ家→赤石岳→百間洞分岐→大沢岳→中盛丸山→兎岳→避難小屋→聖岳→薊(あざみ)畑分岐→西沢渡(にしさわんど)→易老渡(いろうど)


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上の絵は、ミヤマ-ダイコン草を描いたものです。
突風が吹く、西側斜面の岩壁に守られ、東側の窪地に小さなお花畑をみつけました。このまま通り過ぎることも出来るのですが、
いずれ、突風の場所に出ることが分かっていますので、ここでしばし休憩です。小1時間もいたでしょうか。
南の茶臼岳に登る登山の夫婦に花の名前を教えてもらいました。ダイコン草ではないかと。ミヤマダイコン草がこの場合は正しそうです。
葉っぱが8角形とも10角形ともいえず、炸裂しているのですが、全体的にまるく、表面にうぶげが生えており、かわいいい感じです。
このような葉をもつ植物も多く、一つ以上の科を形成しているようです。


中の絵は、聖平小屋(ひじりだいらこや)を描いたものです。1、2階に、100名の収容人数を誇ります。旧小屋にも、自炊客用の20人程度、テントを含めると、一大基地となっています。
聖岳山頂からも見えます。この小屋からは、手前に立ちふさがる山麓の頂にすこし顔を覗かせる程度ですが。
東方向は、両方向から迫る山で、V字状の谷となりますが、その先に、稲又山(2405.3m)の美しい景観を望むことができます。
今の時期、この稲又山からご来光が射し込むようです。

下の絵は、小聖岳(2662m)から眺望した『光岳(てかり)~上河内岳~聖平小屋』の図を使った行程図です。

エンジ色の線が行程です。上の端が、今日のstart pointの茶臼小屋方向です。実際の茶臼小屋は峠を10分ほど、東側斜面(図の奥側)を降りたところにあります。
点線を左(東北)にたどっていくと、褶曲奇岩「竹内門」とよばれる突出した岩場があります。(下記事典を参照ください)その左の山が、上河内岳(2803.0m)です。二重山稜となっており、コースは山頂を通らない北側(絵では手前)の山稜を進んでいます。山頂へは往復15分ということで、リュックをデポし(置くこと)ピストンすることもできます。
今回の場合はあまりの強風のため、リュックを担いだままのほうが安全で、重量が突風で飛ばされることを防いでくれました。また、風の力で自動的に山頂に登れてしまうというくらい、風の力を強く感じました。

亀甲状土(下記事典を参照ください)のお花畑は、広さ300mx100mもあろうかとおもわれるシラビソなどの樹木で縁取られた空間で、幻想的。
今回は、霧と強風、一人もいない登山道ということで、そら恐ろしい感じの空間でもありました。


さらに左に進んで、先端が南岳(2702m)です。
終端が、聖平小屋です。稜線からは、木道となり、5分ほどで小屋につくことができます。南岳からは、シラビソの樹林地帯を抜けますが、次第に深い森となっていきます。




時間行程は、茶臼小屋(am5:45)→上河内岳(am7:00)→お花畑(am7:20-8:00)→南岳→聖平小屋(10:05)という行程です。

今回は、霧と強風、am10前からの大雨の三重苦の登山で、早くもam10:05には、聖平小屋の到着して、長い休養をとるという日程になってしまいました。

2つのパターンがあるようです。
1)このまま強行軍をつづけて山もなに見えない中を聖岳登頂を行い、兎岳避難小屋まで(約4時間)、あるいは、さらに百間洞山ノ家まで(約8時間)足を伸ばす登山家。
2)もうひとつは、朝早く到着しすぎたが、このままここに投宿することを決定する登山家。しかし、どう暇をつぶすか考えあぐねます。

turbo717の場合は、後者ですが、どんどん到着してくる登山家とのコミュニケーションも楽しいものです。

さて、ここから登場する静岡市からの3人の登山家を紹介しよう。
1人は、4年前、聖岳を北側(兎岳方向)に下るときに靭帯を痛めてしまい、その後は四つんばいのまま全行程をあるいたという仙人。途中、百間洞山ノ家の主人のテーピングの助けをもって、ようよう椹島(さわらじま)まで、下山できたということです。それ以来感謝の気持ちを持って、毎年百間洞山ノ家を訪れているということです。
1人は、”師匠”という人について登山をはじめ5年くらいになる人で、いつも苦しさのあまり下を向いて歩いているために、色んなものを拾う習性があるようです。ついこの間も、御嶽山で、大金を拾ったという達人です。届けに行った派出所で、免許証を確証代わりに預けたとき、もらい忘れまた帰ってきてしまったというおまけが付いていますが。
1人は、ジャンダルム(奥穂高岳の衛兵-ハートブレイク・リッジー驚愕の登攀技術を要求する第一級のピーク)剱岳などを経験するアルピニストで、あまりに沢山の山々を登ってしまったため、「南アルプスしか登らない」というこだわりの登山家をめざそうかなと思っている登山家。

この3人に共通なのが、晴耕雨読ならぬ、晴山雨読をめざす登山家。静岡市(じつは、聖岳も静岡市・長野県との県境でもあるが)という地の利を生かして、機動力抜群の人たちです。

この3人パーティーの方々が聖岳登山口から登ってきたと伺いました。夕刻、小屋のスタッフ全員の記念撮影のときから、いろんなことを教わるチャンスを得ました。(つづく)


事典:
竹内門
二酸化珪素に富む部分と泥質な部分とが層をなしているチャートの岩塔です。
岩の表面は、縞模様の浮き彫りがみえます。
ここでは、高山という過酷な条件下で強い風化と侵食をうけ、泥質な部分が掘られて珪質な固い部分のみが浮き上がってしまっています。
竹内門のチャートは、一枚の地層が厚くなったり薄くなったりしていることから、堆積後、十分に固結する前に褶曲してしまったようです。

亀甲状土
地形図に「御花畑」と記載されている場所に、規模の大きな線状凹地で二重山稜になっている場所があります。
植生のないところには、砂礫が亀の甲のような模様をつくっています。
中心に小さな礫が集まり、周辺に大きな礫が集まって、亀甲状土とか淘汰円形土とか呼ばれる構造土の一種を形成している箇所があります。
土壌水が凍結融解を繰り返すことによってできた周氷河地形です。
登山道はこの亀甲状土をもつお花畑の真ん中を通っているため、踏みつけによって植生が失われたり構造土の形状まで変わったりしているので、木道や柵が必要と思われます。


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