庭に椿が咲いています。
日本は、椿の王国で、その種類の多さは世界に冠たるものがあります。
日本から海外へ出た植物として有名なのは椿と百合ですが、椿の場合は特に早く、既に奈良代以前に中国へ渡っています。
花が美しく、万葉集にも詠まれていますが、椿の種類が増え始めたのは江戸初期で、これには、茶の湯や庭園文化を創り出した、桃山時代の美意識が大きな影響を及ぼしています。
また、庭木として重宝され、花の改良が行なわれ、種類も増えました。
そして、日本を代表する花木として、外国へも輸出されました。
ヨーロッパでも、19世紀には園芸植物として流行し、『椿姫』(アレクサンドル・デュマ・フィスの小説、またそれを原作とするジュゼッペ・ヴェルディのオペラ)にも主人公の好きな花として登場しています。
椿は「古事記」に出てきます。そして椿の歌は、万葉集に9首、古今集になくて、古今六帖集に4首と古くは、ほとんど上代に集中しています。
あしひきの八峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君 大伴家持
椿に関しては、中世に八百比丘尼伝説があります。
これは、人魚の肉を食べて八百歳まで生きたという伝説で、全国を行脚し、貧しい人を助け、椿の種をまき花を咲かせた、というものです。
八百比丘尼の伝説は、若狭から北陸一帯、そして、九州、東北にまで伝わります。
暖かい黒潮が流れにそった日本海側に、八百比丘尼が植えたという椿が、今も春になると花を咲かせています。
伝説のなかの八百比丘尼は色々な土地で生まれていますが、最期を迎えるのは、若狭です。「若狭の空印寺の洞穴に入定した」といわれています。
ずいぶん昔ですが、若狭に行った時、八百比丘尼の墓にお参りしたことがあります。