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数年前より、ドイツではヒトラーの指示である計画が進められていた。シュツットゥガルトに建設されていたその研究施設は、1945年が明けると炉の大きな火が灯る様になった。そして、時代を変える兵器が始まりを告げる事になる。
1945年9月28日 フランス ボルドー 第三帝国総統 アドルフ・ヒトラー 「ついにこの時が来た。聖なる大ドイツ帝国の勝利はもはや目前である」 ボルドーを極秘訪問したヒトラーは、初のV2ロケットの発射に立ち会った。フォン・ブラウン博士の下で開発された史上初のICBM(大陸間弾道ミサイル)は、ヒトラーが指導した秘密兵器開発計画の1つである。そして、このICBMによる攻撃は、WW2下において最大の発明とも言える兵器との複合された技術であった。 「ではカウントダウンだ!」 「10! 9! 0!」 発射管制官 「え、あ、フォ、フォイア!」 こうして史上初の核攻撃が実施された。標的となったワシントンD.C.は廃墟と化した。6月にルーズベルトが死去して以降大統領に就任していたトルーマン以下合衆国の首脳陣は無事だったものの、事前警告等なかったため、死者は相当数に上り、アメリカの国論は一挙に沸騰した。打倒ドイツの声は大きくなる一方だったが、すでに大西洋における攻勢を放棄していた合衆国に一挙に戦局の打開を図る事は不可能であり、大統領・トルーマンへの批判が相次いだ。 1945年9月28日、戦争の意味が変わった。 1946年が明け、ついにアフリカ戦線に終局が見られた。中央アフリカのジャングルを踏破した独軍機甲師団に敵はなく、孤立していた連合軍はそのほとんどが降伏した。南アフリカの併合、そしてアメリカの属国であったリベリアの降伏はその事実を象徴する事象であった。 1946年3月6日、第4波ICBM攻撃が実施された。2、3波の攻撃は通常弾頭によるものであったが、今回の攻撃には1発だけ、核弾頭が使用された。 この攻撃により、ニューヨークは壊滅状態になった。ICBMは当時の技術では迎撃不可能であり、合衆国はドイツの一方的な攻撃に晒される事になるのが実証されたのである。 続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.10.03 17:07:13
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