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テーマ:鉄道(22153)
カテゴリ:懐かしい話
この写真の撮影日は、1985年2月27日。 約2週間後に廃止される、キハ5500形、南海電鉄の南紀直通急行「きのくに」です。 南海電鉄の歴史は古く、1885年、阪堺鉄道が難波-大和川間を開業したのに始まります。これは、民間資本初の鉄道事業でもあり、南海電鉄は、日本で一番古い民鉄ということになります。 南紀直通急行は、1934年、南海の電車が国鉄の客車を牽引して南海線内を走り、和歌山市駅で国鉄の機関車にバトンタッチする形で始まり、戦後、1959年、ディーゼルカーでの運転も始まりました。 客車の方は、1972年に廃止され、ディーゼルカーのみが残り、国鉄の急行形気動車キハ55とほぼ同型のキハ5500形が活躍しましたが、1985年3月のダイヤ改正で、国鉄の急行「きのくに」が廃止されることとなり、南海の直通列車「きのくに」も廃止されました。 車両は、キハ5500形。片運転台のキハ5500形5両、両運転台のキハ5550形4両が製造されましたが、うち1両が事故に遭い、改造の上関東鉄道に譲渡され、残る4両が廃止の日まで、難波-白浜・新宮間を1日2往復していました。 国鉄キハ55形と同型ですが、側面には、南海のマークと電照の文字が入ってました。 形式は、キハ5500形と5550形の2形式。しかし、なぜか、側面の車番表記は、写真のようにキハ55の54と読めるように、真ん中が少し空けられていました。 「きのくに」のヘッドマークは、白浜町の景勝地、円月島を模ったもの。 今宮戎を通過する「きのくに」。この年、50年以上に渡る南海の南紀直通急行の歴史の幕が閉じられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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