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カテゴリ:思想
童蒙おしえ草、ひびのおしえ―現代語訳 お気に入りの書物を紹介。 あまり知られていないかもしれませんが 福澤諭吉の「ひびのおしえ」です。 この本は、子息一太郎と捨次郎の兄弟のために、 一日毎に書き与えた教訓集です。 こんな定めがあります。 (お定め) 一、ウソをついてはいけません。 一、おちているものをひろってはいけません。 一、父母にきかずに、ものをもらってはいけません。 一、強情(ごうじょう)を張ってはいけません。 一、兄弟ゲンカはぜったいにしてはなりません。 一、ひとのうわさなどはしてはいけません。 一、ひとの持ち物をうらやんではいけません。 その中でこんな一節があります。 「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。 けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、 しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。 ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、 もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。」 (桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝を獲りに行くためだ。 けしからん事ではないか。宝は鬼が大事にして、しまっておいた物で、 宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく獲りに行くとは、 桃太郎は盗人と言うべき悪者である。) 福澤諭吉が生きたあの時代に 自由な発想と見解を述べることができる気概には いつも圧倒されます。 (追記) <慶應義塾福澤研究センター顧問の桑原三郎さんは、 『ひゞのをしへ』の中で、桃太郎が鬼が島へ宝を取りに行ったことが 「けしからぬこと」であり、「もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、 わるものなり」とされていることを注目して、 「桃太郎盗人論」と名づけて重視している。 そして、福澤が桃太郎盗人論を述べた背景として、 「「ひゞのをしへ」は、言わば『学問のすゝめ』の幼年版とも見做すべきもの」 であって、「一身の独立のためには、 他人の独立も侵さないという考えが前提にあり、 桃太郎盗人論になったのでありましょう」と説明している>。 「ひびのおしえ」の中には、こんな教えも ■手足にけがをしたときは、紙でむすべばだいじょうぶです。 ぬりぐすりなどをつけて、だいじにしていても、じきになおります。 ちょっと打っていたくなったぐらいなら、傷もみせないものです。 サテ、ひとというものは、ウソをつかないはずです。 ぬすみはしないはずです。いちどでもウソをついて、 ぬすみをはたらくときは、これのことを、心のけがといいます。 心のけがは、手足のけがよりもおそろしいものです。 飲みぐすりでもぬりぐすりでも、なかなか治せません。 そういうわけなのだから、おまえたちは、 手足よりも心をだいじにするべきです。 ■ひとのふりみて、わがふりなおせ。 おまえたちもきょうも、食べものにも着物にも、不自由はありません。 それなのに、その心をおとなしくできずに、ひきょうな根性をもって、 本も読まず、勉強オンチになることがあれば、 どのようなりっぱな着物も、どんなおおきな家にいても、 ひとにバカにされて、ひとにうしろから指をさされるようになって、 浮浪者でも味わわない恥をかきます。 ひびのおしえ初編終 この正月、一読あれ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.01.01 11:05:30
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