テーマ:戦争反対(1190)
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朝の仕事をすませた。
8時13分 テレビの前に NHK 広島、平和公園 8時15分 黙祷 目を閉じると、1945の広島のあの瞬間の映像が、あの光が、あの爆風が、あの熱風が心をよぎる 考える間もなく命を失った人 まもなく命を失った人 激痛におそわれ、しばらくして命を失った人 後遺症に苦しみつづけて亡くなった人たち ぼくはどうしようもない人間だが、あなたたちのことを忘れず生きていきたい。あなたたちのぶんも生き抜いていきたい。 数年前、サイパンに旅行に行った。 テニアン島に、日本を爆撃した飛行機が使用した古い滑走路の跡があった。そして、広島と長崎に原爆を落としたB29が原爆を搭載した場所に僕は立った。 目を閉じると、広島にむかって飛び立っていくB29の映像が美しい空のした、鮮やかに蘇った。その銀色の機体は、あまりに美しい悪魔の鳥だった。 アメリカで数年間医師として働いた。 たくさんとはいえないまでも、かなりのアメリカ人の患者さんと接し、医療行為を行った。自分のできるかぎりのことはしたと思う。僕をうけいれてくれたアメリカには感謝している。しかし、あのテニアン島を飛び立ったB29と、広島長崎の悪夢が心から消えたことはなかった。 アメリカにいたとき、8月6日と9日に原爆の報道に接したことは一度もなかった。たぶん一般の人はその日付もしらないだろう。そのことは僕をすこしがっかりさせた。 しかし、この関西でも今日、8時15分を意識した人はあまりいなかったように思う。(そのことをはじめにしって愕然としたのは大学に入った年だった) アメリカにいたとき 「核の抑止力の元にいる快適さ」を思った。 しかし、日本に帰国してすぐ、あの9月11日が来て、核がなくても人々を恐怖に陥れる方法を思い知らされた。 今世界は混沌のなかにいる。アジアも混沌といっていい。 その日本の舵取りをまかされている人たちの責任は重い。 僕は自分のできる範囲で、すなわち自分の生き方で、今時分がここにいるのは過去のみなさまの苦難の上にあることを感謝しそれを表現していきたい。日本人であることを誇りにもち、日本人として恥ずかしくない生き方をしていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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