あやまらない社会
日本人はすぐ「ごめんなさい、すみません」と謝る謝るのは悪いことをしたという自覚があるからだ本当に悪いことをしていないなら謝る必要はない何か事が起こったときアメリカ人は100%自分が悪いのでない限り相手に謝らない謝って後で「オマエが悪いことをしたとわかっているからあやまったのだ」と裁判で言われないために。そんな話をもう何十年も前に聞いていたが十年ほど前弁護士や裁判官がそんな風潮は辞めた方がよいと世間に対し発表したと聞いた。ただ一言「ごめんなさい」と言えば相手の感情が静まりスムーズに事が進むのに謝らないためにこじれるケースが多すぎる。と。「うちの(自動車保険)会社じゃ相手の所にすぐに出向くようなことはしてないみたいですねぇ・・・」相手が加入していたのは今流行りのS損保たまたまうちの生命保険が同じだったので尋ねてみたのだ。こどもを跳ね飛ばした相手の保険屋は「とまれで止まりましたか?」そのことのみを、電話口で追求する。自転車と自動車の交差点の事故では信号のあるなしどちらが優先道路か止まれで止まったかどうか が過失相殺の割合を大きく左右するしかし、そんなもんは「基本形」であって実際の道路は止まれで止まっても右折しようとするトラックとともに前にでなければ横断できないような道路なのである。ましてや数メートル、こどもと自転車を跳ね飛ばした運転手はすぐには車から降りて来ず警察や救急車を呼んだのはたまたま居合わせた大人であり脳しんとうを起こし一時的な記憶喪失状態である息子の現場に居合わせてもない親に「止まりましたか?」と聞いても感情を逆撫でする事ぐらいわからないのだろうか?しかも過失相殺の割合を決定するのは加害者側の保険屋なのである。つまり、跳ね飛ばされた方の過失が大きければ大きいほど保険屋は保険料を支払わなくてすむ。そんなやり方で公平な決定なんて出来るわけがないだろう!と、怒鳴りたくなる。何があったか、事実を捉えようとするならまずは双方の主張を聞くことからだろう。あやまらない、どころかアンタが悪いと責め立てる社会それが戦後のアメリカを追いつけ追い越せと夢見た社会なのか