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2008.01.01
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カテゴリ:ベトナム投資情報


1990 年代にベトナムで設立されたMekong Car合弁会社の立ち上げに携わった韓国系アメリカ人の実業家
Charles Lee Young氏は、ベトナムと20年以上の繋がりを持つ。約束の日、次々とホテルに到着する高級車に
目をこらしCharles氏を待っていると、古く小さなタクシーにその姿が見えた。
「運転手が忙しかったのでタクシーで。便利で安いですから」。

彼が初めてベトナムを訪れたのは1987年。友人に誘われてのことだった。当時フィリピンで成功を収めた
合弁自動車会社の会長を務めていたが、マニラからホーチミン市までの飛行機に乗っていた外国人は
彼ひとりだったという。

当時Tan Son Nhat空港は自動車やタクシーはおろかバイクタクシーすらなく、空港職員が航空機のタラップ
までシクロを呼び、ホーチミン市で外国人客を受け入れていた二軒のホテルのひとつRexホテルまで荷物を
運ばせ、彼はその横を歩いた。マニラから飛行機でわずか3時間のベトナムはまるで別世界、眠れる国の
ようだったと当時を振り返る。しかし暮らしは貧しくとも楽観的で笑顔が絶えない人々を見て、この国を助けたい、
そう思った。

1カ月後、2度目の渡越で彼は当時のホーチミン市人民委員会Nguyen Vinh Nghiep委員長に面会し、ベトナム
に投資したいという外国人ビジネスマンの意向は強い賛同を得た。その後もベトナムを助けたい一心で投資家
らに投資を呼びかけ、韓国の友人やパートナーの多くが意欲的だったが、当時は韓越の国交が正常化されて
おらず参入は難しかった。

1987~1988年の2年間、氏は韓国とベトナムを数十回行き来し、両国政府の掛け橋となった。1988年9月に
ベトナム政府団15人が初めて訪韓、二国間の氷は溶け始めた。

初の在韓ベトナム大使Nguyen Phu Binh外務次官は、Charles氏をベトナムに熱心で、韓国とベトナムの国交
正常化に大きく貢献したと評価する。氏は韓国国会にも顔が広かったため、ベトナムと韓国の幹部の会見を
多数取り持ってきた。

国交正常化から数年間のNguyen Van Linh元書記長やホーチミン市党委員会Vo Tran Chi書記の訪韓はいずれも
氏の貢献だとBinh氏は言う。さらに彼はアメリカとベトナムの関係においても、自身の人脈を駆使して貢献した。

1992年12月15日、韓国とベトナムが正式に国交を樹立したときも、韓国各紙は二国間の橋渡し役を担った人物
としてスポットを当てた。そのような貢献から韓国政府は勲章を授与することを提案したが、彼はベトナムを
助けたいという気持ちからしただけのことだと断った。

1990年、Charles氏はベトナムでの自動車工場設立を考えついた。痩せた身体で汗まみれになり、シクロで客の
荷物をホテルまで運ぶシクロ漕ぎの姿が脳裏に焼きついていた。

バイクを買おうと考える人すら少ない当時のベトナム。自動車市場など無きに等しいこの国で本気なのかと
Tran Lum元重工業大臣にも何度も聞かれ、大きなリスクを背負うことを心配されていたと笑う。

いつか来る投資家たちのために道を切り開く手伝いをしたい、そう彼は話していたとBinh氏は言う。だがベトナムは
米国から経済制裁を受けており、技術移転しようとする国はなかった。Charles氏はアメリカやドイツ、日本など
世界有数の自動車メーカーと接触を繰り返し合弁を提案したが、首を横に振られるばかりだった。

イタリアFiatグループのIvecoが合弁に同意した時には、ベトナムとの約束を果たせたと胸を撫で下ろした。

2年後の1992年5月20日、ホーチミン市のMekong Auto Corp工場初の自動車が出荷された。APやAFP、ロイター
など世界の通信社も、ベトナムが世界36番目の自動車産業国になったとこの出来事を伝えた。 Charles氏は
人目をはばからず、男泣きした。この成功が米Chryslerの関心を引き、ベトナムでの提携を打診された。ここで再びアメリカの法律が
立ちはだかったが、このチャンスに氏は米政府に国交正常化を求め、その推進活動を続けた。
当時のクリントン大統領とゴア副大統領にも3度手紙を書き、国交正常化が実現した後に、大統領から
感謝状も受け取っている。

Charles氏の幼少時代の韓国は、終戦まもなく苦しい状況にあった。20歳を過ぎ彼は、生活を変えようと渡米、
アメリカンドリームを実現し、貧しかった韓国青年は40歳になる頃には大富豪になっていた。その後中東と
フィリピンに事業を拡大し、ベトナムへ来た。初めてのベトナムは戦後の貧しかった母国のようで、ベトナムも
韓国のように、きっと困難を乗り越え、工業大国へ成長するだろうと彼は言う。

ベトナムを語る時に彼は「運命」を強調する。偶然訪れたことも、長く暮らしているのも運命だという。

彼は、自分の人生を2部に分けられると言う。第1部は困難な時代を過ごした韓国、財産をくれたアメリカ、
事業拡大を成功させたサウジアラビア、フィリピンであり、第2部が人生の最後まで暮らしたいと考えるベトナムだ。

彼の今一番の願いは、ベトナム国籍を取得し、この地を自分の本当の故郷として、残りの人生を過ごすことだ。

(Lao Dong)
(HOT NAM! 2008/02/02 12:28更新)
http://www.hotnam.com/news/ditem.php?itemid=080202122919





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最終更新日  2008.02.04 22:22:49
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