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というわけで感想です。
本当は昨日読み終わっていたのですが、あることがハッキリしたので書きたくなかったというのもあります。 これは「ネガティブを愛する生き方」の続編になります。 人格統合とはどういうものか、というのを伊藤美海さんの体験をもとにつづったものです。 これで一種の追体験をすることが出来、こちらで言うところの「人格統合」とは何ぞや、を理解することが出来ます。 一応ワークショップも出て話は聞いていたのですが、ハッキリいってその時には全然ここで言う「人格統合」というものをまるっきり理解してなかったことに気づきました。 表面的にとらえて、それを過去のデータと照らし合わせてこんなもんだろうと推測していたのです。 それを思いっきり覆されました。 うん、あの時の説明じゃ全然足らないね。 説明の仕方も問題かと思うけど、これはあの短時間では説明しきれないわ。 同時にハッキリとしたのは、ワークショップを受けた10月では私は全然準備が出来ていなかったし、心構えも出来ていなかった。 だからその時始めても何処かの落とし穴にはまってドツボになっていたのは間違いない、ということ。 同時にどうしてこの取り組みに背を向けて去っていく人がいるかというのも、やはりその人の心構えの問題でもあると言うことがハッキリしましたね。 本当にこの「人格統合」をする前にやるべきことが幾つかあるんですよ。 まず2元判断(善悪、光と闇)を手放すこと。 そして闇の排除を止めること。 被害者意識を捨てること。 それをすっ飛ばしてスクールに入ったとしても、それは途中で潰れることを意味します。 そのことを伊藤さんは怒ってましたが、それもある意味仕方のないことだと言うのを同時に知っているのだと言うのも改めて知りました。 「逃げたかったら逃げればいいんです」 そう、これは誰も強要する問題じゃない。 でも逃げたら終わりの問題でもある。 その場を逃げて、それでもまた戻ってこざる得ないことを知っているのかもしれません。 自分を心底愛してないときっとこれは絶対に挫折するだろうと思います。 ハッキリいって自分に都合のいいメソッドを探し歩いている人にはお勧めしません。 光だ愛だと言って生ぬるいところに浸かって、それでライトワーカーのつもりになりたい人にも。 そうではなく、本当に愛すると言うことを知りたい人には、それこそ泥水を飲んでのたうち周る羽目になっても諦めない人にはお勧めです。 ただね、一昨日も書きましたが、私はここに2年以内に改めて行かないといけないですね、確実に。 それだけはハッキリしちゃいましたね。 行かなくてもこの取り組みをしないとダメなのが本当に分かりました。 直感的に。 で、行かない・取り組まないとどうなるかというと、この人を殺すことに加担することになります。 うん、この本の“エピローグ”を読んでハッキリと分かって書くの嫌で1日伸ばしたのはそれが見えてしまったから。 「一度も会ったことのない私の命を、貴方も握っているということを。」 エピローグにそう書かれていますが、これほどまでに恐ろしい文章を私は初めて読んだと思います。 『ホ・オポノポノ』にも全てのことは自分の責任、と書かれていますが今までそれがどういうことかをちゃんと理解していませんでした。 それを究極の言葉にするとこの文になります。 その時の恐怖分かりますか? この方の命数の一端を私が握っているんです、確実に。 そして私はエネルギー的にそれがはっきりと見えてしまったのです。 「霊的契約がある」という言葉を10月のワークショップで初めて聞いたのですが、その時はよく分からなかったのですが、こういうことかと実感しました。 思わず一瞬どころか丸一日現実逃避しましたが、やっぱりそれは変わらない事実で。 一生懸命いい訳探して逃げようとしても、自分の深いところで分かってしまったそれは逃げることはかなわなくて。 ううう、やだなぁ、知らなきゃよかった。 でも知ってしまった以上、蓋して知らん顔はできません。 そんな訳で来年からエネルギー的に大変な激動期に入ると思うので、覚悟しておいてください、ツインさんとソウルグループの皆様。 うん、そこも代表しているっぽいね、私。 そうして何故、それが今わかったのか、も理解しました。 確かに今にならないとつぶれているわ、私。 それまで不安定過ぎましたから。 本当に一体全体どう言うタイミングの良さなんだろう。 思わず遠い目になってしまいました……。 ちなみに、「上関連」にかかわるっていうのも一種の人格統合の方法の一つであるなぁ。 方法論が違うだけで目的は一緒。 なので変な落とし穴に入らないで行きましょうね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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