|
カテゴリ:自分を見つめる
世の中にはたくさんの人が居て、たくさんの役割も持って生きています。
ただ本来持っている役割を果たすまで行かずに、この世から退場する方もいらっしゃるようです。 そう言う人の方が今までは多かったかな? 公の場で光り輝いて、矢面に立つ役割を持っている人も沢山います。 その為、必要以上に光に満ちたものをばらまいていたりします。 その光を受け取ったり、浴びたりすると、自分の中の闇が更にくっきり浮かび上がってきます。 それを目をそらさず、きちんと受け止めて昇華して行く人は良いのです。 しかし時にはその闇が見たくないものだったり、受け入れ難いモノだったりすると、逆にその光を振りまく人を「おかしい」と言って避けたり、逆に嫌悪したり憎んだりすることがあります。 闇はね。 誰の中にもあるし、それは否定するものでもないのだけど、何故か分離させて見たがらない人が多いです。 またあってはいけないモノ、と憎んだりしている人もいます。 光信仰をしている人に多いかな。 自分の闇を受け入れる事が出来ず、見ることも出来ず、逆にそれを更に浮かび上がらせる本当の光を拒否していること。 そしてその光を振りまくことにあこがれていて、光を振りまいているつもりになる人も、本当の光を振りまく人を拒否するかな。 闇の中の光を知りながら、闇を拒否している人も嫌がるかな。 本当の光ってね。 闇を内包しているものなんだよ。 内包しているからこそ、人の心に入ってくるんだよ。 光ばかりに目を奪われないで、ちゃんとそれを感じ取っている? そして本当の闇ってね。 光を内包しているものなんだよ。 だからこそ人の心を落ち着かせて、安らかにするんだよ。 それをちゃんと実感として理解している? 不安にさせたり、落ち着かなかったり、変な連帯感で安心させたり、舞い上がらせたりするのは、全て偏った光だったり闇だったりするんだよ。 人は、自分の器に見合った量でしか、他の人言葉を受け取ることはできない。 例えどんなに叡智にあふれた言葉でも、受け取る人にそれだけの器がなければ、歪んで取ったり、自分の都合の良いようにすり変えたりする。 何故それが自分に引っ掛かるのか、 何故そう言う風に自分が受け取るのか。 もっともっとちゃんと自分の中身を見てはどうかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.13 19:24:29
コメント(0) | コメントを書く |