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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
バイトの後輩で、まあ年齢的に同じくらいの人なんですが。
朝の仕事間に掃除やら開店準備やらをする時間があるのですね。 その時にサッカー台(えーと、スーパーでレジの後に袋に詰めるための台ですね)の上が、掃除をしたにしては汚れてました。 一応その上は綺麗に汚れを落とすことになっていたので、注意をしたら何故か逆切れされ、更に睨まれた。 なんかムカついたのですが、他に業務のあった私はそのまま流してしまったのですが。 いや、これ、変だろ、って後で気付いたのですね。 本来ならそこでちゃんとその態度がおかしいのだと、注意をして叱る必要があるのですが、それが出来ない。 でも私は全般にそうで、怒ってもそれが表現できなくなっていた。 無意識に抑え込んで、プライド意識で相手を見下して、留飲を下げていた。 以前はさらに抑えきれない分だけ、外にヒステリックに漏れ出していた。 今でもちょっと愚痴って形で、出さずにはいられないけど。 ただこのままじゃ、結局抑圧カルマは解消できないのですね。 感情のままぶつかればいい、というモノじゃなくて、ちゃんと怒っていながら表現して、叱るべきところを叱らないと。 それでも自分の価値観にしがみつき、理解しようとせず、被害者意識でヒスられると、やっぱり放棄したくなる。 面倒で鬱陶しくて、放置して関わらないようにしてしまいたくなる。 それではやっぱり駄目なんだろうな、とも思うのだけど、そこからいつも先に進めない。 立ち止まってしまう。 そして本当に怒ると黙ってしまう癖も、あまり良くないのだろうな。 黙って伝えず、密かにずーっと怒っている。 そして絶対的に赦さない。 赦さない、という選択も確かにある。 良し悪しでなく、本当にただの選択の問題。 それにまつわる因果関係やら陰陽の法則はもちろん付いて回るのだけど、それでも、っていうのはありだと思う。 怒れない、のではないな。 怒りを表現できない、なんだな。 自分本位の安易な怒りでなく、ちゃんとハートに基づいた怒りの表現が、まるっきり分からないので出すのが怖い、という意識も何処かにある。 怒りを出すと結局怒った私が悪者になるから嫌だ、というよい子の発想もある。 それらも含めて、ともかくちゃんと叱ったり怒ったりできないと、進歩がないのだなって思う。 ここが課題なのだな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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