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カテゴリ:自分を見つめる
その感覚はもう去ってしまったけど、メモが分かりに。
結局、全てを否定したりジャッジする必要などまるきりないこと。 私達の全てはありのままに、良し悪しなど一切なく、あるがままなこと。 ただ単に私は今あるあり方を選び、今あるあり方を感じていること。 人は今あるあり方を選び、今あるあり方を満足するまで楽しんでいること。 宇宙には決まり切ったきまりごとなどなく、全てが自由であること。 その中で何を選んで、何をどう生きるかは、本当はその人に任されていること。 どんな感情もどんな思いも、ただそこにあるだけ。 それをジャッジするのは人の思考だということ。 受け入れるも受け入れないも、個々の自由であること。 結局、人は生きたいがままに生き、それを誰もが批判する事など出来ないし、する必要など本当はない。 思考やカルマに縛られるのも一つの生き方だし、そこから抜け出して生きるのもその人選択による。 人は自分のカルマに縛られ、それをあらゆる感情でとらえ、感じて、十分に堪能して生きている。 だから本来人の生き方など、誰の指示も受け居れず、そのままその人が選んだ生き方で、生きていく。 そんな中で、私は、あるがままを受け入れつつ、受け入れずに、同時に変る(カルマを見つめる)事を選択しただけ。 ただそれだけのこと。 だから本来、私は全ての事から自由でありながら、不自由なものを選択して、自由になる方法を探しているのだろう。 ふと、思ったこと。 今日は陽ちゃんが育てるための植物を買ってきた。 白い花のつく小さなもの。 名前を何故か覚えてない。 でも気に入ってじーっと見ているのが分かる。 そんなこんなで色々と沢山の人格達の思いが交錯して、それで思ったこと。 結局私は例えどんな私でも私であるのだな、とそれだけの話。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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