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カテゴリ:自分を見つめる
陽ちゃんが出てきて、プライド人格と完全に分離させてみることができて、自分の中にものすごい被害者意識があるのに気付いた。
これはDNAカルマでもあるので、気持ちとしては結構ビミョーなんだけど。 客観的にみることができて、ようやく自分でなぜ悪いか分からない、と思っていた行動の道理というか法則が分かって、色々と納得した。 そりゃ、人が周りから居なくなるわ、と。 もともと、その被害者意識も、やっぱり理解されない・尊重されないというかなしい気持から発した結果なので、その根っこの気持ちはやっぱり尊重したいと思う。 だって誰に何を言っても信じてくれず、理解しようとされず、一方的に悪いって決められて、感情的に怒られてヒスられ続けられ、挙句に叩かれ続けたら、誰でも「私は悪くないもん」って気持ちになると思う。 そんな気持ちを育ててしまって、手のつけられないまで放置してしまった結果なんだよな、被害者意識による、過度の自己正当化は。 挙句の果てにいじめがそれに拍車をかけた。 分かってくれない奴を、何で分かってやらなくちゃいけないの。 平然と傷つくことをい言う奴に、何で配慮してやらなくちゃいけないの。 そんなのおかしい、ってのがある。 変な話、愛情を掛けられたことのない人が、愛情のかけ方が分からないのと同じなんだよな。 本当にいたちごっこ。 良く相手の立場に立ってモノが言えない、と言われるが、親に自分の立場に立った言われ方をしたことが無いから、それが実感として乏しいってのはある。 それって何?って思う。 だってキツイ事傷つくこと平然と言われ続けていたもん。 それで泣くのがおかしい、傷つくのがおかしい、鬱陶しい、本当の事を言われて泣くなって言われ続けたら、それが当然だと思うさ、5歳未満の子供は。 だからこそそれ以外の方法ってどうやるんだろ、って思っているし、本当の事を言って何が悪いのか、全然分からない。 それで傷ついて泣く方がおかしいって私も思う。 でもそうすると批判されるから、見よう見まねでいつもは取り繕っている。 実際に思ってなくても、心配しているふりとかすれば、相手を思いやっていると思われる行動をとれば、取りあえずその場は誤魔化せるし、非難されなくて済む。 取りあえず本音を言わずに適当に繕っておけば、平面上は何も起こらなくて済むし、必要以上に踏み込んでこない。 だからそうしていた。 これ以上面倒なことが起きないように。 あ、途中から陽ちゃんの気持ちが入りまくってるな。 人間不信でダラダラ書きそうだった。 まあ、それもありなんだけど。 陽ちゃんも幾つかの面があって、もしかしたらどっかで分離するかもしれないが、今は一つとして見ている。 貴夜ちゃんの根っこの部分とリンクしているから、そこをちゃんと見極めることが難しいけど。 たくさんの面を一々分離させるのもバカみたいだな、と思うし。 根っ子が被害者意識だからまあ、同じかなって思うし。 自己卑下と被害者意識。 この二つに飲まれて、居ることが多いな。 プライドはそこを取り繕うために居る感じもする。 本来は違うのにね。 取りあえず少しづつダラダラと書き続ける。 それで見ていく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.03.17 22:24:18
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