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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
で、先日のマロさんとの話や、セッションの話をした。
家に帰ってから気づいたが、私はこんなこと出来たんだよ―とか、という話をするのが、ともかく苦手。 何で省略してしまうんだろう。 取りあえずおいておいて。 話をしたら、嬉しい気持ちがよみがえって来て、やっぱり話をしてよかったなぁとしみじみと感じた。 褒めワークをやっているのにすごい抵抗が出る、という話で、ともかくそれを全部出していかないとダメだよね、って話をしてもらって。 そもそも親からのダメダシやら何やらを、元に在るって話をして。 じゃ、何でそんなダメ親を見捨てずにさっさと家を出てないのか、って話になり、そこから思わず立ち止まった。 何度も立ち止まるところだけど、本当に分からなくてしばらく呆然とした。 そんな状況をみて、優実ちゃんが実は親を好きなんじゃないか、だから親の価値観にしがみついて何時までもそこから出られないんじゃないか、という様な事を言ってくれて。 最初は否定したい気持ちがあった。 でも前よりは拒否したいとは思わなかった。 それで漸く、以前に家を出ようとして止められて、反発しつつも、何処かで必要とされて喜んだ自分が居たのかもしれない、と認められるようになった。 それまで両親は私を嫌いで必要ないと思っていると思っていた。 なのに今更しがみつく気かっ!って怒ったことも確かだけど、違うってことに喜んでしがみついた自分が居たのかもしれないって思った。 だから未だに依存しているのだと。 その後、勉強会で本当に小さい頃に愛されてると感じていた事を最近思いだすって話をした。 というか、初めてそんな話をしたような気がする。 両親が好きな自分も居て、もちろん反発する憎んでいる自分も居て、それで良いんだと未だは思えないところもある。 憎しみや怒りが大きすぎて、両親を好きな部分を認めない、そんな事は許せん部分もある。 否定のさらに否定をしたりしてる所もあって、そんな無理も認めて行くしかないんだって、否定しても仕方がないって、そう言う事を教えてもらった。 出来るかな? 今回、ひおきさんの話やゆりちゃんの話を聞いていても、思ったことは、「繋がる・繋げる」ってのがテーマの気がした。 ひおきさんは、子供に対する態度と自分へしている事がどう繋がってるのか、って話をしてたという印象を受けたし、ゆりちゃんはそもそももっと人と関わって繋がるってことをしていこうね、って印象だった。 わたしがマロさんと話をしたのも「繋がりたい」というのがあったことだったし、そこから繋いで自己卑下がでるのは何故かって感じになった、印象がある。 あくまで私の印象。 ともかくみないふりをしていたところが出て、疲れた。 やっぱりそう言うのは独りじゃ出せないし、見つけられない。 人とかかわるのって大事だな、と思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.11.18 22:26:33
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