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カテゴリ:読書・その他感想文
網野善彦と中沢新一が山梨県出身ということは知っていたが、縁戚関係にあったとは、網野善彦がなくなるまで知らなかった。正確にいうと、網野善彦の妻が中沢新一の叔母にあたるということだが。
よく、学者の家系とかあるが、もちろんDNAもあるかも知れないが、環境の及ぼす作用というものを痛感させられる。中沢新一の父とその弟の論争、その横でそれに加わる網野善彦。それを聞いている幼かった時代の中沢新一。たぶん、幼いなりに(もちろん、内容はよく理解できなかったかもしれないが)わくわくする場面だったのだろう。 民俗学、歴史学、そして宗教学と微妙にオーバーラップする分野で、それぞれの知見から、自分の研究にヒントになるものを拾い出す、知的な交流。なんともうらやましい関係だ。 そして、中沢新一の子供時代から、まじめに向き合って、オジという直接でも間接でもない立場から、アドバイスを与えていた網野善彦のあり方に感動すら覚えた。 もちろん、こういった環境を、生かすことができる、持って生まれた才能というのも重要になってくるのかも知れないが。でも、そんな環境を子供にあるいはおい、めい、いや、赤の他人でもいいが、作ってやることができたら、そんな幸せなことはない。 とても、そんな環境とは縁遠いような自分だが、子供時代の記憶で、父が同僚を家に連れてきたときの会話で印象に残っているものがある。まだ小学生で、中国で文化大革命が展開されていた時代。父の会社の論調では、どちらかといえば文革を評価するような姿勢が目立っていたが、そのときの話では、むしろマイナス面について話が盛り上がっていた記憶がある。子供心に「紙面で書いていることと違うのでは」との思いもあったが、なにかその辺に複雑なものを感じ取ることだけはできた。少なくとも、そういった環境にあったことが、今の自分になんらかの影響を与えていることは否定できないだろう(どっちにしても、たいした影響じゃないけど)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.19 17:48:54
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