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カテゴリ:ウルトラマン
ウルトラマンゼロというウルトラセブンの息子はとにかくよくしゃべってました。
我々おっさん世代からするとあんなに良くしゃべるのも「ちょっといかがなものか?」と感じてしまうのではないでしょうか?
最近やっている『ウルトラマンギンガ』は体を借りている人間がしゃべる部分ははっきりしており、ウルトラマン自身は寡黙的で、神秘性が戻った気がします。
思い出して欲しい。最終回で『ゾフィ※(この当時はゾフィ『ー』ではない)』が「ウルトラマン、さあ光の国へ帰ろう」とペラペラ喋っていた事に、違和感を感じませんでしたか?
もともと初代ウルトラマンはハヤタと別人であるという前提があり、ウルトラマンはそれほど「しゃべらない」寡黙な感じがありました。
反対にウルトラマン寡黙だった事で『神秘性』が増していたのも事実でしょう。
ウルトラマンが話すと言えば、メフィラス星人との会話などもありますが
普段、ハヤタの姿の時の言葉はハヤタの意識の意見なのか?ウルトラマンの意見なのか?
という問題も、あやふやであったりました。ま、今回はいいか(笑)
で、今度はウルトラセブンになるとモロボシダン=ウルトラセブンは本人であるので、ウルトラセブンの意見=モロボシダンの意見であり
ウルトラセブンが話をしなくてもモロボシダンが話をすることでセブンの意思は私たち伝わっているのでした。
しかし、帰ってきたウルトラマンは郷秀樹は全くの別人格として描かれていたハズでしたが
帰ってきたウルトラマン自身が結構意識的にシンクロしているのではないか?と思われる部分もあったりしていました。
初代ウルトラマンよりは『ウルトラマン本人の意見』と言う部分において結構同一性を感じていたのではないか?と思われます。
最も語らなかったのがウルトラマンエースと言う事になるでしょう。
ウルトラマンエースは北斗と南の2人に別れて合体しており、ウルトラマンエースという意思は変身するまで全く感じられませんでした。
途中から北斗隊員が1人で変身するようになり、どこまで北斗とエースの意思が一体化しているのか?という問題も帰ってきたウルトラマンと同じくわかりにくかったのも事実でしょうか?
神秘性という意味ではウルトラマンエースが初代なみに神秘性を残した?のではないだろうか?とも感じました。
一方ウルトラマンタロウになると「東光太郎がタロウになったのだ」と思って見ていた人たちからすると、ウルトラマンタロウ=東光太郎であるために
東光太郎の意見はそのままウルトラマンタロウの意見=『ウルトラセブンと同じ形』になるわけです。
当時からすると「人間がウルトラマンになった」という感覚でした。
なぜ彼はそうすんなり人の欲望ではなく、『ウルトラマンの意識』で物を考えることができるのだろうか?という少し不思議な感じもしていました。
昭和のウルトラマンの『続き』からすると、いろいろな変身者のパターンを持たせることで、子供たちを飽きさせないようにしてきた―――
と言う形もあるわけですが、簡単に言うとウルトラマンと言うカルチャーが今1つ固まっておらず、その場で行き当たりばったり的な場面というのもかなり多かったわけです。
今のように40年以上のバックボーンでいつしか把握できたものはあまりないワケです。
しかし単純に言えばやはり『ウルトラマンはあまり話しして欲しくない』って思いませんか?
人間の姿で色々語ってもらうのには別に問題はないのだですが、変身してからペラペラしゃべるのはおっさん世代にとってはちょっといかがなものだろうか?という感じがするような気がします。
それがイコール全て悪いというわけでは無いのですが・・・。
光に国で、ウルトラマン同士が話をするのは別に変じゃぁないですから。
途中の説明、わかりにくかったですか?(笑)
まぁ、おっさんの独り言・・・と言う事で、今回は幕引き~~~~。
ではまた(笑)
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