選ぶ権利。
えらぶけんり。どうかんがえてもおかしい。ことがたくさんある。それってわたくしでは??ということがたたある。だけどやっぱりえらんでしまうひと。がいるわたしはとみんでないから。えらぶけんりはないですが。もういい。とおもいます。そろそろ舞台から、退場。していただき。。=中略=たまにりかいあるふりとかみせてるけど。。どうかんがえてもおかしい。しこうのけいこうが。やっぱり退場。していただきたい。区長くらいならさせてやってもいい。が首都のかおにぐんじん(みたいなこというひと)はいやだ。くにのかお、にいかどうぶんのひとはもっといやだ。そんなひとひとがけんりをもたないよう。最終更新日 2007年02月22日 19時14分26秒この日記を書いた当時は都知事選の頃でした、これ以後、国政においても、企業運営においても問題が連続して噴出し選ぶ権利がさらに重要性を帯びてきたことと再度認識しました。来年は早々に大阪においても府知事選が予定され、直截権利を行使できる機会があります。なにごとにおいても、これでは変わらないだろうという気持ちに消されることなくひとつひとつ選んでいくことを忘れたくはありません。人生は選択の連続で、しかも必ずしも自発ではなく、エラバサレテイル、という場面も多々あります、選挙においても、選ぶ余地もない、という候補者の場合もありますし選んだあとに勝手なことする人もいます。でも、やっぱり、よくみて、よくかんがえてえらぶこと、そうして、ちいさなことでも、ちがうことはちがうのではないか、ということ、ちがう、とおもったじぶんのかんかくをだいじにすることがわたしたちにできることではないかな。となじめないなかでおもったこれは、選挙とうにおいてのみのはなしではなく、ライフスタイル、食べ物、にんげん、ごらく、しゅみしこう、すべてにおいてのせんたく、についてもです。