懐かしの家族HP

2020/12/24(木)17:18

43年ぶりの「少年」発売日

漫画(5)

​ 「少年」(光文社)昭和37年4月号完全復刻BOX 虫の知らせと言っても良いかも知れなかった。 数日前、いつものように遅い夕食をとりながら、母と雑談を始めた。 その前に相変わらず愚劣な番組を垂れ流しているテレビに向かって、「人がしゃべっている時にうるさいぞ、バカめ ! 」とやや大きな声で怒鳴り、リモコンの電源スイッチを押した。 今息災な母もいつ永の別れの時を迎え、私とは幽明境を異にする運命になるか知れない。 私は母とほぼ毎晩、昔を、殊に昭和30年代前半を懐かしむ話ばかりをする日課となって久しい。 光文社の月刊雑誌「少年」の話題もよく出る。無論私が遠くを見る目になって、懐かしみつつ、昔話を始める。 母は主婦に専念した女である。 それだけに、亡き兄と私の二人(ににん)兄弟の幼い頃をよく記憶している。 北海道釧路近くの「別保(べっぽ)」という辺ぴなところに都合三年ほど暮らした。 ある時から兄は「少年」、三つ下の私は「ぼくら」(講談社)を購読することに落ち着いた。 雑誌「少年」は、兄が絶賛し、最新号の到着に無邪気に喜び、その様子が私の幼い脳裏に鮮烈な印象を残した。 他誌にもそれぞれ長所はたくさんあったが、兄は比較的「組み立て付録」の少ない「少年」を選んだ。そのぶん、組み立てふろくの動きが凝っていたのだ。 私のとった「ぼくら」は表紙がややざらざらしていた。ところが兄の「少年」は表紙が現像から返ったカラー写真のようにすべすべし、つやつやしていて、光を反射してまぶしいほどだった。 兄が初めに本誌の漫画から読み始めたのか、まず付録作りにかかったかは覚えていない。 だが、最新号を前に胸躍らせる兄のうれしさは、当時の私にも伝わった。 そして、当時30前後だった若き母も、この様子を記憶に印象に残した。 母は「『少年』はほかの雑誌よりもスマートであかぬけていたね」と、当時を振り返って、必ず言う。母は「少年」の漫画一つ読んではいない。 だが、主婦に専念した昭和2年生まれの母は、兄が毎月一回はしゃぐ姿を脳裏に焼き付けていたのだろう。子の成長が己の人生の生きがいと断じてはばからぬ昔の女の、一つの典型だったかも知れない。 それゆえに、母は78の今も、「少年」をひときわ目立つスマートな雑誌との評価を惜しまぬ。 私は昔の組み立て付録の一つを例に挙げた。昭和37年8月号付録の「宙返り戦車」である。 当時、各方面からの言わば「いやがらせ」があり、人気雑誌「少年」はまともにその攻撃を食らった。 たとえばそれまで金属製で付けた豪華な付録は、金属部分が著しく制限され、ほぼオール紙製となり、さらになにゆえか、動力装置に不可欠の輪ゴムはわずか二本までと制限された。 トランプを付録に付けると、ゲーム業者が「我々が骨牌(こっぱい)税を払っているのに、雑誌だけまぬかれるのは不公平だ」と、関係組織に働いて、妨害することもあった。 串間努(くしま・つとむ)氏著「『少年』のふろく」。本誌歴代付録を巨細な記述で構成してある。 また、「少年」に売り上げでかなわぬ他誌が、やはり、なんくせまがいの理屈で圧力をかけたりなど、「少年」人気を下降させんと、奸計(かんけい)働かせて実行した結果、著しい付録制限となった。当然これは他誌にも及んだ。 その中で、今書いた「宙返り戦車」は見事な完成度だった。 わずか二本のゴム動力で、この付録は信じがたい動きを見せた。 まず輪ゴムを巻いて、エネルギーをためる。そして、説明書通りに模型を床や畳に置いて手を放す。 戦車は勢いよく前進し、やがて壁にぶつかる。ここで戦車はパッと起き上がり、再び四輪で着地するや、向きを変えて別の方向へ走り出し、ゴム動力の力がなくなるまで、壁に突き当たっては向きを変えて走る動作を続ける。 この、50を過ぎた息子のあるいは退屈な昔話に、付き合い半分で耳を傾けるふりをするかと思いきや、さにあらず、母は「凄い付録だね。全く仕掛けがわからないよ」と言って、興味を示す。 こんな話をしていたある夜、お世話になっているかたの最高に品のある「懐かし掲示板」という巨大ホームページを訪れたら、「少年」昭和37年4月号完全復刻BOX販売の情報に出会った。 早速ネット注文し、本日昼間、宅配便で商品が届いた。 43年ぶりに少年月刊誌「少年」が届いたのである。 豪華な装丁(そうてい)のBOXをあけると、予想を凌駕(りょうが)する、さらに豪華な「少年」昭和37年4月号の本誌・組み立て付録・別冊付録、その他の特典的冊子が目に飛び込んだ。 母が「きれいだねえ。でも・・・お兄ちゃんはこれを見る機会がなかったんだねえ」とポツリつぶやき、またあとでゆっくり見せてもらうとのひとことを残し、階下へおりて行った。 予想通り、私は年甲斐もなく、目頭をにじませた。 良き時代、昭和30年代 ! ! 我れにつかの間の至福の思いを思わせてくれた光文社の企画に感謝の念を惜しまぬものである。 今回復刻の「少年」より半年後に発行の同誌9月号。 ​

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