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北朝鮮拉致被害者、 曽我ひとみさんの夫 ジェンキンスさんの著書「告白」のドラマを見ました。 昼間は友人と 天皇の後継者問題について話していました。 万世一系の伝統なのか、 国民のアイデンティティーなのか はたまた皇室の方々の個人としての基本的人権なのか・・・ 「宿命」について考えさせられた一日でした。 そして上記にあげた方々には 「宿命」と思われる人生が与えられたけれど 果たして一見、「宿命」とは無縁で 「自由に生き方を選択して」生きているように見える「私」は どうなのだろうと思いました。 一般に 「宿命」は自分の手では変えられない 「運命」は自分の手で変えられる と聞きます。 でも「宿命」を 「生まれたときから与えられた役割り」と考えた場合 今、私が取り組もうとしていることも もしかしたらそうなのかもしれないと思うのです。 そしてこれは 誰しもにあるもので それが、一見「自由に選んでいるように見える」のか 「自分の手ではどうしようもないように見えるのか」の 違いだけなのではないかと感じました。 私がこの人生を歩んできた道のり 全てに意味があって それらがパズルのように組み合わさって 今の私を作っています。 ・・・というか、 そう考えることが一番幸せだから そう考えたいのかもしれません。 拉致被害者を考えても 皇室問題を考えても そして自分の人生を考えても みんな、天から与えられた「使命」があるのだと思います。 今年の初詣のおみくじは 「取越苦労をしないで、精一杯に働きましょう」 でした。 結局は、そういうことなのかもしれません。 (・・・おお、最後におみくじと繋がりました。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 10, 2006 02:28:45 PM
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