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昨日お会いした方たちとお話ししていた中で どんどん使われていかなくなっていく日本語を 後世に伝えていくことの大切さの話になりました。 公共広告機構の広告「江戸しぐさ」をよく地下鉄車内で見ますが その「しぐさ」や「言葉」が失われるということは そのことそのものは例え時代の移り変わりと共に変化しようとも その背景にある哲学は、伝え残されるべきもののはずです。 だから私たちが、昔の言葉を知るということは 昔の人たちの知恵や哲学を知ることに他ならず またそれを伝承していくものが「言葉」なのかもしれません。 「傘かしげ」という言葉、 たとえ未来に傘に代わる透明バリアのようなものが登場して 「傘」というものがこの世からなくなっても 互いを思いやるマナーが 江戸時代から大切にされてきたのだという その文化の成熟度や哲学を知る上で やはり忘れてはならない「言葉」なのです。 以下、いくつかご紹介いたします。 「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」といって子供を教育した。三歳までに素直な心を、6歳になるとその振る舞いに節度をもたせ、9歳では人様の前でも恥ずかしくない言葉遣いを覚えさせ、12歳ではきちんとした文章が書けるようにさせ、15歳にもなると物の道理がわかるようにしなければならないというものであろう。この教えは現代にも通用する教育論である。 「お心肥やし」。江戸っ子は教養豊かでなければならないということをこう呼んだ。ここでいう教養とは読み書き算盤のほか、人格を磨く事が何よりも大切なのだという意味合いが強く込められている。 「打てば響く」。江戸っ子はすばやく対応することを身上とした。当意即妙の掛け合い、初対面で相手を見抜く眼力など、その切れ味が真骨頂とされた。 「三脱の教え」。初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないルールがあった。これなどは身分制度を全く意識させない教えであり、相手を思いやる心と、人を肩書きだけでは判断しないという、何事にも捉われない意気込みがみてとれる。 「時泥棒」。江戸城の時計は一分の狂いもない正確なものであった。このため、幕府に仕えている武士ばかりではなく、商人たちも時間には厳しかった。現代でもまったく、同じことなのだが、都会人のマナーというべきであろう。 以上、こちらのページから抜粋させていただきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 25, 2006 06:05:06 PM
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