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「想いを後世に遺す」「いかに今を生きるか」 そんな巨大なテーマに取り組んでしまったが故に 人様の人生や想いを伺うにつれ 聞き手としての未熟さに 毎回頭をぼかぼかに殴られる気がします。 学生時代 私は本当に勉強をしなかった。 いや、好きなことは勉強したけれど とってもかたよっていたし もっと自分自身のアイデンティティーの基盤となるような勉強を 学生時代にきちんとしておくんだったと この歳になって痛感しています。 でも、もちろん手遅れだと思ってしまったらその時点でおしまいなので 今からでもできると信じて、日々、ひたすら勉強です。 本日手にした本 ![]() ”さまよえる日本宗教” まだ冒頭の数ページしか読んでいないのですが かつての我が母校でも教鞭をとったことがあるという内村鑑三。 彼は17歳でキリスト教に入信してからも長いこと 自身が「何者でもなかった」時期をさまよい ようやくまずは「日本人」に そして次に「キリスト教徒」という 「何者か」に到達したそうです。 そしてそれは27歳の時だったそう。 うーん、27歳の私は日本人・・・ いや、その前にそもそも人間だったのだろうか。^^; 今でもまだ「何者」でもない自分と 日々葛藤しながら生きています。 ちなみに内村鑑三は「さむらいクリスチャン」。 これは単に彼が武士の出だったということだけではなくて キリスト教を通じて自らの中に「日本人」を発見し キリスト教を通じて「聖化された武士道」を見出しました。 一見相反する東洋と西洋 そんな(先日の日記でも触れた)弁証法でいうところの 矛盾の中で成長を遂げた 高潔な人だったようです。 こういった方たちの 「後世に遺った強い想い」を ウィルウィンドとしては聴いてみたい。 何が彼をそこまで追及させたのか。 何が彼をそこまで動かしたのか。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 5, 2006 02:47:22 PM
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