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祝祭男の恋人

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カテゴリ:小説をめぐる冒険

  

 最後の管理人、大沢ミズオは、七月の初めに着任した。しかし、誰も新しい管理人なんて、待ち望んでいなかったに違いない。でも、どんな場合でも、最後は気持ちよく締めくくりたい、と誰もが思っていたのだと思う。だからこそ、初めて大沢ミズオと接した住民が戸惑ったという話も僕にはよく判る。
 彼は、いつも心がお留守になっているみたいだ、とある住人は言っていた。前任者とは大違いだ、と苦々しく呟く人もいた。それはどちらも当たっていたと思う。が、彼はあからさまに管理人の仕事を忌み嫌っているわけではなさそうだった。薄いブルーグレーの制服を着て、気がつけばあちこちを動き回っていた。それでも寸暇を惜しむというよりは、時間の有り余った人間の歩き方に似ていた。また、彼は言葉の端々に人を傷つけ、不快にさせるガラス屑を敷き詰めているわけでもなかった。でも、彼の声は僕たちを何となく不安にさせた。もちろんそれは彼の本意ではなさそうだった。彼は前任者のように、花壇に花を絶やさないように努力していたし、少なくともにこやかに挨拶を交わそうと顔を歪めていた。でも季節が悪かったのか、花は根付かなかった。運良く顔を出した芽にも、アブラムシがまとわりついていた。そして彼の笑顔を見たあとでは、僕は少しだけ歳をとったような気分になった。
 がらんどうの荒涼。僕はそんな言葉を思い付いた。どうしてそんな言葉が口を衝いて出たのかは判らない。元来管理人は世話好き、のみならず、夫婦で任されるという慣わしだったから、彼を派遣した市の人間も、どうせこの団地をすでに見限っていい加減な人選で済ませたのだろうと僕は踏んでいた。
 とはいえ、住民と完全に敵対するとはいかないまでも、ちょっとした日常のやりとりでさえピリピリ不要な空気を漂わせてしまうこの管理人に、僕も無関心な態度で接することに決めた訳ではなかった。むしろ、僕はそもそもの初めから、確信犯的な強い好奇心を大沢ミズオに抱いていたのだ。
 というのも、まずはその奇妙な名前に僕はピンと来た。

 日本映画監督名鑑(1997年版・チミノ出版)、四一七頁、上段。ここに大沢ミズオという名の監督が収められていることを僕は知っていた。それは電話帳ほどもある分厚い本で、有名無名を問わず、原稿を依頼された映画ライター達が知っている情報を片っ端から詰め込んだような代物だった。僕はそれを暇さえあれば捲っていた。いずれ近い将来自分の名前――別所駿――が、その一頁に連なることを夢想するのが僕の愉しみの一つだった。
 大沢ミズオに関するページ、それは簡単な略歴と作品名の羅列で、顔写真もなければ、もちろん作品解説もついていなかった。新しい管理人と結びつく点はただ一つカタカナ表記の耳慣れない名前だけだった。

経歴
一九四九年、アメリカ生まれ。二歳の頃父の転勤により帰国。その後、東京・長崎・埼玉と各地に移り住む。高校卒業後、早稲田大学で自主制作映画に携わる。

作品 監督・脚本…大沢ミズオ
・『西瓜男』短編一五分(六八年)
・『垂直落下』短編五分(七二年)
・『ヴェトナムピンボール』短編三〇分(七三年)
・『生きる歓び』長編一〇〇分(七七年)

 インターネットでその名を検索しても、新たに付け加えるべき情報は、彼が九五年に『空白男と忘却女』という脚本を書いた、ということだけで、それがどんな内容でいつ放映されたのかも判らなかった。それに、もし彼が映画監督である大沢ミズオ本人だと判ったとしても、その後自分がどうしたいのか僕には判らなかった。たとえ彼が僕の求める大沢ミズオだったとしても、そんな人が解体間際の集合住宅で管理人をしているというのはいかにも不自然だった。かなり高い確率で、同姓同名の別人に終わるだろうということは予想できた。それに、いかにも人間嫌いといった風情の管理人に面と向かって聞くことは躊躇われた。何故だろう。僕の中で、大沢ミズオという管理人に惹き付けられる衝動と、そこには近づくべきではない、という胸騒ぎが同時にぶつかり合っていた。

 友達から安く譲り受けたビデオカメラが僕の手元にあった。団地の解体が決定されると、僕はそのカメラを持って、建物の周囲を巡り歩き、いろいろな角度から団地を撮影していた。自分が生まれ育った場所が消滅するという事実が僕をそういう感傷的な行為に駆り立てたのかも知れないが、建物の外側を撮っても、何も面白くなかった。


                         つづく






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Last updated  Dec 17, 2005 08:46:02 PM
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