|
カテゴリ:犬
今日はイヌの2回目の命日。
100年に一度の大雪の年、たった一日の晴れた日に逝った。 16年一緒だったため、まだまだ辛かったりするし、未だに家ではしょっちゅうイヌの話題が出る。 この2年間、いろんな人から次のイヌを勧められたが、もうあのイヌ一匹でいいや。もう次はいらない。次のイヌを飼えば悲しみはすぐ癒えると言われると、それってどーなの? ホラ次の代替用のイヌを飼いなよって言われてる気がしない? もしかしてこれから先次のイヌを飼うことがあるとしても、イヌで悲しみを癒すんではなくて、悲しみが癒えてから次がいい。綱渡り的に飼ったとしても、悲しみと対峙して気持ちを昇華させない限りいつまでも心のどこかで引きずるんではないかと。 イヌは安楽死だった。脳腫瘍で充分苦しんで、飼い主のエゴもあったと思う。安楽死を中々決められなかったし、逝った後でもあれで良かったのかどうかはいつまでも考える。が、最近経験した手術の経験で少しずつ気持ちを昇華でき始めていると思う。 手術で手術室に運ばれ、周りのスタッフと談笑しながらライトを見ていたのが最後に覚えていること。本当にスゥッと麻酔が効いて意識がなくなった。手術が終わって麻酔から覚めてから何度も考えている。もしあの瞬間が最期であったなら、苦しむことはまったくなく、麻酔が効き始めた意識もない。本当に安楽なものだった。これが愛するものへ最期に与えることができるものかも知れない。最期の瞬間まで恐怖や痛みを感じさせることなく逝かせることに気を使う必要はあるが。 この2年間、イヌを失った立場からのエゴで哀しんでいた。が、どのみち迎える最期、あれで良かったと思い始めている。 昔、F1レーサーのアイルトン セナがレース中事故死した。生中継で呆然と見ていた。このレースの2週間前(だっけ?)には日本のサーキットのピット前の席でかぶりつきで見たばかりだったのでショックだった(ちなみにこのレースでセナはリタイアしている)。 その後、かつてのチーム仲間だった後藤さんの「苦しまずに逝ったことがせめてもの救い」の一言が印象に残っている。安楽死を考える時、いつもこの一言が浮かぶ。 ところでイヌとはかんけーないけどさ、一つの別れを癒すのは次の恋とか何とか言う人もいるがそりゃぁちゃうで。新しい恋で前のを癒してたら、同じことの繰り返しさ。周りにいない? 次々彼は見つかるが、ほとんどすべて同じようなパターンで終わってる娘って。恋を恋では相殺できないさ。一旦仕切りなおして気持ちを昇華させないと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012/02/10 03:13:59 PM
コメント(0) | コメントを書く
[犬] カテゴリの最新記事
|