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テーマ:徒然日記(22711)
カテゴリ:家族
寒さが一段と厳しくなってきた今日この頃 皆様、如何お過ごしでしょうか?
先月の26日以来ご無沙汰しておりました。 この2週間は本当に慌ただしく過ぎてしまい ようやく落ち着いてきた所です。
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26日の弟からの電話は耳を疑う内容でした。
その日は日曜日だったので、私は仕事の後ダンナと 一緒に近くのスーパーで買い物中でした。 そこへ掛かってきた弟からの
家が火事で全焼してしまい母は逃げ出せずに 犠牲になってしまったようだと。 この時、弟は外出中で近所の人から連絡を 貰い慌てて家に戻る途中だったのです。 本当にこれを聞いたときは自分の耳を疑い 嘘であってほしいと願いました。
わたしたちは急いで店を出て、ひとまず自宅に 戻りこの後どうするか考えました。 すぐにでも実家へ向かいたい所なのですが もう夜になってしまい行ったところで 何も出来ず、まして泊まれる場所すら 無くなってしまったのですから。 その日は弟たちとでやり取りするだけにして 翌朝、実家に向かう事にしました。
その日の夜のうちの現場の捜索で 母の遺体も見つかり、弟たちも母で 間違いないと確認したようです。 その後母の遺体はどこかへ搬送されてしまい 行き先は教えて貰えなかったようです。
そして翌日、実家のあった場所についてみると 1人暮らしをしている上の弟も現場に来てました。
実家は聞いていたとおり全焼で 焼け焦げた柱と僅かに残った壁以外は 全て焼け落ち灰となっていて その姿を見たときはただ呆然とするしか ありませんでした。 その中で消防隊員や警察の実況検分が 行われていて、ほぼ焼けつくした中から 奇跡的に出てきたものもあったのです。 父方の祖母の写真、母が昔のお札を 入れていたがま口、少しばかりのネガ そしてこれが一番驚いたのですが 弟がある目標があってコツコツと 貯めていた現金(お札)が焼けもせず 濡れただけの状態で見つかったのです。
亡くなった母が焼け出された弟が困らないように そのお金を守ってくれたんじゃないのかと 皆で話してました。
その時もまだ母の遺体がどこに保管されている のか分からずに対面することも叶わなかったの ですが、夜になって弟からの連絡で 所轄の警察署の霊安室に安置されていたようです。 しかし其処は冷蔵の設備がないので 別の警察署に搬送されてから 司法解剖をする監察医のところへ運ばれるので それが終わらないと引き取りは 出来ないということでした。 もしかすると1週間位かかるかもしれないと 言われたのですが、程なく水曜日の夜には 引き取りの許可が出て、木曜日に依頼した 葬儀社の方に引き取りに行っていただきました。 そして火葬が出来るのが土曜日に決まり それまでは市の火葬場の霊安室に 安置しておいてもらいました。
火事から1週間後の土曜日にようやく 荼毘に付することが出来てホッと したところです。 葬儀社から紹介してもらったお寺さんも とても良心的なところで住職さんが こちらの事情を聞くと親身になって 相談に乗ってくれて遺骨もその お寺の納骨堂に収めてくれました。 そこでの49日の日取りも決める事が 出来て先ずは母も一安心でしょう。
母との突然の別れ。 亡くなってしまうとあれこれと 思いあぐねてしまう事ばかり。 同居していた末弟もいろんなことを 悔やんでいました。 だけど過ぎてしまったことを たら・ればの話をしても どうする事も出来ませんものね。 生きている人間はまだまだこれからの 生活が待っているし、実際日常の生活に 戻ると嘆き悲しんでいる暇も無いのが 現実なんですよね。
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なんだか文章に書くと凄く淡々としていて 変な感じもするのですが、こうやって 書くことで気持ちの区切りをつけることも 出来たような気がします。
ブログのほうもボチボチと更新していきたいと 思いますので、これからも宜しくお願いします。
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