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カテゴリ:宮城・仙台・若林区のこと
▼私・わかばやしくが勝手に応援する若林区。その仙台市若林区霞の目に過去に「偉大な横綱がいた」ことをみなさんご存知でしょうかぁー。詳しくは、横綱論として宮城の横綱のみならず全国に轟く「社内に潜むめっちゃ詳しい人(知る人ぞ知る・笑)」がいらっしゃるものですから、でしゃばるのはやめときます。
▼さて、事実として先日、「谷風の墓」なるものを自転車でフラフラしてましたら発見。そんな墓があるのは知ってましたが実際に見たことはなかったので、ケッコウ感動しました。 実質的な横綱第一号と称される「谷風梶之助」。そのミニ公園化された内部には、奥に松の木? があって、小学生らしき男の子が今では珍しい「木登り」に興じていました。 ▼そんなほのぼのとした空間と史実を感じる偉大な力士がいたということの、アンバランスさを感じるとともに、「こうして時代が形成される」んだなぁと妙にナットクしてしまうわかばやしくなのでしたー。 ※そういゃー、そんなすごい横綱がいたのだから、周辺に「土俵」があってもおかしくないんじゃないか、とこれまた無駄に問題提起してしまう私。周辺の小学校に、「相撲クラブ」なんてものあるのかにゃ。スポーツ教育と歴史教育をするのにうってつけの地域なのだと思います。 ※仙台市青葉区の定禅寺通りの県庁前の公園内には、「谷風像」が仙台の街に悠々と構えています。 【無駄知識をひとつばかし】 流行性感冒のために44歳で35連勝のまま現役死した。このことから、インフルエンザのことを「タニカゼ」と呼ぶようになったと伝えられているが、正しくは、谷風が「土俵上で儂を倒すことはできない。倒れているのを見たければ儂が風邪にかかった時に来い」と語った時(天明4年頃)に流行っていた流感を「タニカゼ」と呼んだものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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