私は腰が低い京女です。トラブルが起こっても、「へえへえすみません。どんなことどして」とにこにこしながら引き下がります。バカにされようが、あなどられようが平気平気。
(ギャラの踏み倒しとパワハラは別で、その瞬間に攻撃モードに入ります。原稿料を踏み倒す社とか、いきなり怒鳴りだす編集者とかいるんですよ)
私はとっても人間ができてるんですよー。ええもう、陰険な京女ですから。
そんな私が編集者に文句をいいまくったことがありました。校正がひどかったときです。女子高生の「ら抜き言葉」に「ら」を補い、間違いでない文章の味も全部校正者のお好みの文章に修正してあり、枠外に文法のご教授まであり「中学で学ぶ文法です」と書いてあった。それでいて表記揺れのチェックと誤字チェックは適当だったんです。
編集者に文句を言うと、「この校正者が担当すると、作家さんみなさん怒るんです」とため息をついていました。
(これは例外です。校正の先生はみなさん優秀な方ばかりです。130冊ほど出版してきてひどい校正だと思ったのは二つほどです。ほんとうに校正者さんには感謝しています。)
なんでこの「中学で学ぶ文法です」に腹が立ったのかというと、これは私のほうの問題です。
私は小学校の頃、読書感想文あらしでした。小学校四年の担任の先生が作文指導に熱心な先生で、作文とか詩とか、童話とかいろんな賞を取りまくった。ところが中学生のとき、小論文の賞に入ったら、母親が怒ったんです。
「赤軍派になるつもりか。許しませんえ」わけがわかりませんでした。赤軍派って何? 読書感想文は良くて、小論文はどうしてダメなの?
「作家になりたい? アホウなことをお言いやすな。許しませんえ。本なんて読まんでよろし。女は結婚したらよろし」
母は浅間山荘とかで大騒ぎする世代より少し上です。高卒の母は、大学に行った裕福な学生がバカなことをする様子を苦々しく見ていたのでしょう。
小論文で賞を取るというのは母にとっては「天啓を得た。教祖と呼べ」と同じようなものだったのでしょう。
私はひねくれているので、反対されるとやりたくなるんです。私は国語の教科書を暗記するほど読みました。図書館で本を読みました。漫画を読むのは許されていたので、漫画をいっぱい読んでました。お話を終始妄想していました。
教室の窓の外で木の葉が飛んでいる様子を見ているだけで、もうお話が浮かんでしまう。授業なんて聞いてませんでした。当然成績はボロボロで、良かったのは国語と社会だけ(社会は妄想できるから好きでした)。体育も3だった。
高校のとき、家が火事になったり、家業が傾いたり、脱税で追徴課税が来たりして、高校を続けるのが難しい状況に陥いりました。なんとか高校を卒業して、コンピュータの専門学校に進学し、第二種情報処理技術者をとりました。
ソフトハウスに就職してプログラマしながら、通信課程で近畿大学に通いました。通ったのは法律学科。法学部を選んだ理由は、失火のときは賠償しなくていいという法律が不思議だったから。
残業の多い職場だったので、そりゃもう大変でしたよ。ソフトハウスは残業が多くて、睡眠3時間とかでふらふらでした。結局一年で辞めて派遣社員に変わりました。
「中学校で学ぶ文法です」という書き込みは、私には「あんたまともな学問を受けてないんでしょ? だから文法がわかっていなんいだよ。私はいい大学を卒業したけどね。ああ、バカの原稿を読んであげる私ってすばばらしい。私ってほんと優秀だわー」というように思えた。
「中学で学ぶ文法です」を「あんたは学歴が低いバカなんだよ」「私は高学歴なの。あんたと違うの」と脳内変換したのは私のほうの問題です。コンプレックスを刺激されたから腹が立った。もう何年も前のことだけど、今でも腹立ちは残ってる。
(それ以来、ヒマになったら本屋さんで国語のドリルを買ってきて、解くようにしています。今も漢検の勉強をしています)
親のお金で大学に行くことができていたら、私が裕福な(文化レベルでも、金銭面でも)家に生まれていたら、たぶんこんなには腹が立たなかったと思うな。
金持ちケンカせずってほんとですね。
今、ヒマな時期で、漢検の勉強していると、ムカムカが連鎖的に思い出されて止まらなくなったのでこんな日記を書いてみました。繰り返しますが、校正者さんはみなさん博識ですばらしい方ばかりで感謝しています。一部例外もいるけど、それはどんな世界でも一緒です。