二度あることは三度あるNHK、三度目の正直ならず・・・
2006年に関東エリアNHKで写真と名前だけ紹介されたことがあります。が・・・、テレビカメラでの取材を上育堂が受けた経験はまだ無いです。しかしながら、話が無かったわけではありません。2005年夏、NHK京都支局から電話がかかってきました。ニュース番組の中で京都の障害者を取り上げる企画があるとかで。10分くらい電話のインタビューを受けましたが、翌週に他の障害者を取り上げることになったと連絡が来ました。(・・・残念)2007年、またNHK京都支局から連絡がありました。今度は30分の福祉ドキュメンタリー番組の企画を持ちかけられました。その後番組ディレクターがやって来て1時間ぐらいの事前取材を受けました。でもその翌週、企画は採用とされなかったと連絡が・・。(あらら・・・)なんか、「自分は、テレビに取り上げてもらうほどの大きな事はしていないんだなぁ・・・」と現実を実感。そして月日がたち昨年2009年末、今度はNHK大阪支局から連絡が入りました。今度も福祉ドキュメンタリー番組の企画です。Kというディレクターがやって来て2時間半の事前取材を受けました。ところがこのディレクター、まだ聞きたいことがあると年明け早々ににまた2時間の追加取材となりました。“今度はかなり本気・・・?”と感じつつ、この取材中なぜか私はだんだんムカついてくるのです。このKというディレクターは自分が理解できなければ福祉と考えない私の大嫌いな人種です。福祉に、理解できるかできないかは大きな問題ではない。極端な話、ウンコは汚くないと理解できても、誰だって他人のウンコはさわりたくない。他人のウンコがさわれない人に介護はできない。福祉は、理解できるかできないかは大きな問題ではないのだ。「受け入れられるか」「受け入れられないか」の問題なのだ。(特上カバチ風に・・) それでは、ここで問題です。 <福祉とセクハラの共通点は何でしょう?>福祉もセクハラも、第三者の判断で成立するものではありません。受けた当事者がどのように受け取るかで成立するものです。だから福祉に理解できるかできないかは大きな問題ではないのです。さて、取材を終えたKというディレクターは1週間で企画の是非が決まると言って帰って行った。ところが月末になっても連絡がない??・・・ “・・・スルーかよ。。。” Σ( ̄_ ̄|||)私とて馬鹿やない。企画がボツになったくらい察しがつく。しかし、人をカキ回すだけカキ回しといて、結局シカトかぁぁ~・・???ほっといてもエエんやけれど、やっぱり腹が立つ。で、「企画はどうなりましたか?」とメールした。すると案の定ボツになったと返事がきた。 Σ( ̄_ ̄|||)なおかつ、このディレクターはもう一度企画を会議に出したいと申し入れてきた。こちらとして何も損をする話ではないので、「おまかせします。」とだけ返事をしました。2月末に企画の是非が決まると言っていたが、月末になっても連絡無し。3月半ばになってようやく企画がボツになったとメールが来る。 “・・・いまさらエエよ。。。” Σ( ̄_ ̄|||)こんなディレクターが作る企画のテレビに出んで済んだことを幸いと思うしかない。。。そういうことではボツにしたNHKの判断は正しかろう・・・。どうであれ、上育堂はまだまたテレビに扱ってもらえるほど大したもんやないという事でんなぁ・・・。 “・・・いつかリベンジしてやる。。。” Σ( ̄へ ̄|||)そもそも上育堂が取り扱ってもらうべきは、福祉ドキュメンタリーではなく、「ビジネスドキュメンタリー」それでこそチャレンジド・ワーカーの『BE PROUD』。来年の開業10周年には、テレビ東京のビジネスドキュメンタリーになどに出していただきたいものです。この日記をテレビ東京の関係者が見てへんかなぁ?・・・1クリックよろしく↓↓↓ ツキを呼ぶかも?人気blogランキングに1クリックよろしく。人気blogランキングへ にほんブログ村