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May 16, 2011
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ゴールデンウィーク最後の土日はゆっくりしようと思っていたが、実家の父母が遊びにきたいというので、予定が埋まった。
明日から学校という日曜日に来た。
いつものペースを崩さないなら特に疲れないと思ったので、お昼は外食でそのまま公園へ。
夏場だと父は公園など行きたくないというけど、風もあったし、緑地だからよかったようだ。
子供たちは噴水の周りを走り、水に触れながら楽しく遊んだ。
私が参加しなかったので、夫は疲れたみたいだったけど、子供たちは喜んでいた。
夕食も外食したかったけど、いつものペースでゆっくりしようと思えば、やはり家で食べるのがいい。
夕食の出来上がる待ち時間を、バトルスピリッツのカードゲームで遊んだり、テレビを見たりして、過ごせば、ゆっくりした日曜日だから。
父の耳が少し遠くなって、キッチンからお話できないので、テレビをつけた。
放り出されたような父親たちを見て、少しかわいそうな気がしたけど、夫が夕食まで許してくれていることに感謝して、そのままご飯を作り続けた。
これを機会に、バアバたちもよんで会食としたかったけど、バアバが不在で、ジイジは人と話すことで疲れるかもしれないので、夫にジイジのことをゆだねてあった。
ジイジも一緒なら、広いジイジたちの部屋を借りるところだったけど、夫がご挨拶に寄った父母を引き連れて帰ってきたので、自室を片付けて食べた。
丸いちゃぶだいがフル活動。
いつも半分荷物置き場になっているけど、丸く囲むことができた。
活気を感じた。
それを見て、思い出したことがある。
以前、実家の工場の3時の休憩に、子供たちと夫が父母らと一緒に食べたことがあったけど、父が
「毎日こうだといいなあ。」
とつぶやいたこと。
(その後は、工場の休憩に子供たちが一緒だったことはあっても、そんなに落ち着いて座っていたのはその日だけになっている。)
生活スペースは少なくなるけど、がやがやしてて、暖かいものを感じた。
母親は静かに食べている。
どこのお母さんでも食べ方や、こぼすことが気になって、注意が多くなるけど、もう、母親は言えなくなってしまった。
これはこれで、ちょっと寂しい。
ニコニコしながら、大きな声で話し続けていた母だったから。
以前は食事中は無口だった父は、最近は愚痴も含めてよく話すようになった。
その日は自分の話や世間話。
久しぶりに普通モードの会食でよかった。
バアバたちと食べると、食べ方について怒った声で注意が飛ぶから、おいしさ半減。
父も、最近はあまり言わないけど、孫が幼い頃は食べ方について躾論を展開していた。

やがて、翌日が学校だったので、すぐにお風呂となり、父はあわただしくなる孫たちを見て、
「そろそろ帰るわ。」。

父が母の実家と交流していたときは、たばこの煙モウモウの中、伯母夫婦と母方の祖父とテレビを横目に、酒を酌み交わし、楽しく話していた。
私たち子供は、バアバの元へ送られ、テレビにお絵かき。
帰るのは、夜の9時頃だったと思う。
そういう濃い交流を見てきた私は、寂しさを感じた。
ただ、時代は変わっていくし、実家と嫁ぎ先は人付き合いの感じがまったく違うので、これは仕方ない。
夫も試験勉強があるので、お酒は飲めないし、父も運転手だから飲んじゃいけないし。
時代もあるけど、最近はそれぞれの家庭がそれぞれのルールを持ち、生活スタイルも違うから、結婚した相手の家庭が外国のように感じるかもしれない。
私はそうだった。
カルチャーショックの連続。
だからこそ、金子みすずさんの詩のように
「みんなちがって みんないい。」
という精神を大切にしなければいけないかもしれない。

父らを駅まで送った。
父といっそう小さくなった母を見て思った。
私が就職したときも、二人そろった後ろ姿を見送ったが、あの時は、母は楽しそうに父に話しかけていた。
今はあまり話さなくなった母だけど、あの時と同じ二人なんだなあ。
仕事も自営業だったから、母と二人喧嘩しながら、走ってきた。
いつも二人だった気がする。
結婚して、子供が育ったら、また二人に戻るということなんだね。
でも、そう思うと同時に、たった二人でもあるような感じもした。
昔は奔放な父だったが、今はちゃんと迷惑かけないように気をつけている。
そういう姿がけなげに見えて、「泊っていってもいいよ。」と声をかけてあげたい気がした。
実家にはお嫁さんがないから、まだ自分の家という感覚でいられるけど、年を重ねていくとどこでも邪魔にならないように気を使うようになっていくのかな。
(バアバたちはちがうようだけど。)
よく分からない行動をとる母を連れてさまよっているようでつらい。
今年71の父は、自分が逝った後の母を心配する。
母は父がいなくなると不安定になるかもしれない。
父は、人の言うことをきかないことの多くなった母を自分以上に丁寧にできる人はいないと知っていると思う。
私には自分の生活があるし、子供はまだ小さいし、実家にいる長男は息子だから厳しいし。
自分を犠牲にしても支えてくれるのは、自分の父母だけだと思う。
幸運があれば、相方もそういう存在になれる。
だけど、相方もいなくなると、とたんに気兼ねした生活になると思う。
フランスでは、「人間は一人」と言うらしいけど、そうだと思う。
他人に頼りすぎず、自分で切り開いていく。
でもそういう心が今の私にはまだまだ欠けていると思う。
だから、寂しすぎたり、不安すぎたりするんだ。
夫たちは個人主義だけど、そういうものを学ばなければならないからここにいるのかもしれない。

父には酔っ払いながら話し合える友がいる。
そして、彼らは父自身をよく理解してくれている。
父はある意味甘え上手なのかもしれない。
そう、相方以外に心を支えてくれる友を持つというのは大切なことだと思う。

「まま、おひとつ。」
「いいじゃないですか、どうぞどうぞ。」
「先輩に粗相があってはいけないよ。」
そういう宴会から離れて10年。
あれはあれでよかったなあ。

仕事上でも仲間がいると心強い。
個人主義は修行だから、毎日が大変で・・・。
でも、「人生にはときどきいいときがあって、それを支えに人は毎日を生きる」ということらしいし、「楽しい行事を作ることも大切」らしいから、我慢できないのは、私の努力不足かも。
今の部屋は確かに狭い。
でも明るいし、音で神経質になりすぎることはないしいいところ。
あと少しでお別れだけど、お金をためるんだと思って、がんばろう。
そして、少しでも楽しい生活ができるように考えていこう。





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Last updated  May 16, 2011 09:46:54 AM
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