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陰陽師と式神と私

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2011年09月08日
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弟橘比売(院展)

9月8日、院展評議員で日本画家の高橋天山画伯にお招き頂いて、
日本橋の三越本店で開催されている「院展」に行って来ました。

院展 http://www.mitsukoshi.co.jp/store/1010/inten/

高橋天山画伯のブログ http://tenzan.sblo.jp/


高橋画伯は今回は弟橘比売が入水するシーンを描かれています。

とても美しい色合いで、多くの人々が足を止めて絵に見入っていました。
ご都合のつく方は是非、足を運んでみては如何でしょうか。

高橋天山画伯は伊勢の徴古館に複数のご自身の絵を奉納され、
更に神代絵巻と遷宮絵巻を奉納される予定です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本は古来から地形的に東の終着点として、
西から様々な文化を受け入れてきました。
けれどもそれは単に受け入れたのではなく、
日本人の感性や風土などの濾過装置を通して取捨選択し、
日本人の感性にあったように醇化(じゅんか)して、
より一層高度で洗練された日本独自の文化へと発展させてきました。

日本画もまた西から入ってきた様々な影響を受けながら、
日本独特の素晴らしい絵画へと発展してきました。

ゴッホやモネなどが日本の浮世絵に出会って衝撃を受け
西洋画に浮世絵の手法を取り入れて進化、発展したように
日本画もまた明治以降怒涛の如く押し寄せた西洋文化の影響を受けて
進化、発展をし、現代に至っても尚、新たな日本画の世界が切り拓かれています。

日本の素晴らしさは、文化であれ思想であれ宗教であれ、
すべてを長い時間をかけて日本独特の個性に変化させ、
さらに発展させるという独自性を持っていることだと思います。

「日本は受け入れる国である」から何でも受け入れるべきであり、
現在のマスコミが作り上げた韓流ブームに対して
嫌韓感情を露骨にするような主義主張が似非保守だと断定して、
弾劾している人々が見受けられます。

これは少し日本という国を間違って捉えているのではないでしょうか。

「日本は受け入れる国」と言っても、
取捨選択も無しに何でもかんでも受け入れ続けていれば、
日本はゴミ箱のような存在になってしまっていたでしょう。

古来から現在に至るまでの間、あらゆる文化的、思想的なものが、
すべて一貫して「日本」を感じさせるものであるということは、
外から全てを受け入れて来たのではなく、もともと日本人や日本の風土、
日本人を貫く精神にそぐうものであるのかどうかを、
長い時間をかけて取捨選択し、あるいは粗暴なもの、粗削りなもの、
未発達なものなどを少しずつ改良、進化させて、少しずつ、少しずつ
日本的なものとして発展させてきたのであると考えます。

それを「醇化(じゅんか)」と云う一言で言い表せるのです。

流入してきた外来の物を日本民族に合ったように熟(こな)すことのできるだけの
精神的に非常に優れた資質を持ち合わせていなければ、
外から来たものを内にあるものと一緒にして
より一層優れたものにするという高度な技を駆使することは出来なかったでしょう。

「國體の本義」の結語に次のようにあります。
少し長いですが、将に日本の独自性について分かりやすく説明されています。

つまるところ、西からもたらされた思想や宗教は
日本に於いては元のものとは似ても似つかぬほどに変化させ、
それらの思想や宗教の完成形に近い姿にまで進化、発展させたものである、
と言うことに尽きるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(中略)
我が国に輸入せられた支那思想は、主として儒教と老荘思想とであつた。
儒教は実践的な道として優れた内容をもち、頻る価値ある教である。
而して孝を以て教の根本としてゐるが、
それは支那に於て家族を中心として道が立てられてゐるからである。
この孝は実行的な特色をもつてゐるが、
我が国の如く忠孝一本の国家的道徳として完成せられてゐない。
家族的道徳を以て国家的道徳の基礎とし、
忠臣は孝子の門より出づるともいつてゐるが、
支那には易姓革命・禅譲放伐が行はれてゐるから、
その忠孝は歴史的・具体的な永遠の国家の道徳とはなり得ない。
老荘は、人為を捨てて自然に帰り、無為を以て化する境涯を理想とし、
結局その道は文化を否定する抽象的のものとなり、
具体的な歴史的基礎の上に立たずして個人主義に陥つた。
その末流は所謂竹林の七賢の如く、
世間を離れて孤独を守らうとする傾向を示し、清談独善の徒となつた。

要するに儒教も老荘思想も、歴史的に発展する具体的国家の基礎をもたざる点に於て、
個人主義的傾向に陥るものといへる。

併しながら、それらが我が国に摂取せられるに及んでは、
個人主義的・革命的要素は脱落し、
殊に儒教は我が国体に醇化せられて日本儒教の建設となり、
我が国民道徳の発達に寄与することが大であつた。

印度に於ける仏教は、行的・直観的な方面もあるが、
観想的・非現実的な民族性から創造せられたものであつて、
冥想的・非歴史的・超国家的なものである。

然るに我が国に摂取せられるに及んでは、国民精神に醇化せられ、
現実的・具体的な性格を得て、国本培養に貢献するところが多かつたのである。

これを要するに、西洋の学問や思想の長所が分析的・知的であるに対して、
東洋の学問・思想は、直観的・行的なることを特色とする。

それは民族と歴史との相違から起る必然的傾向であるが、
これを我が国の精神・思想並びに生活と比較する時は、
尚そこに大なる根本的の差異を認めざるを得ない。

我が国は、従来支那思想・印度思想等を輸入し、
よくこれを摂取醇化して皇道の羽翼とし、
国体に基づく独自の文化を建設し得たのである。





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最終更新日  2011年09月09日 01時14分31秒



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