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テーマ:韓国!(16993)
カテゴリ:韓国
「民族」或いは「統一」という言葉は韓国人にとって、ちょうど戦後日本人にとっての「平和」と同じくらい、ある種の麻薬的な効果を持つ言葉だ。
現在の韓国や北韓の人々にとって、7世紀後半の「統一新羅」が民族的自尊心の原点となっている。私見ではあるが、朝鮮半島のほぼ全土を「統一」したという史実と、現在の「南北統一」という夢を重ね合わせ、現実との区別が付かなくなってしまったが故の事と思う。 ~~~~~┌(・。・)┘♪ 遥か昔、世界史の授業でカジッた程度の知識からすると、朝鮮半島には6世紀頃までの数百年間、「高句麗(コグリョ)」「百済(ベクチェ)」「新羅(シルラ)」そして「伽耶(ガラ)= 任那(イムナ)」の各国が成立していたが、「伽耶」が「新羅」に滅ぼされ、「百済」「高句麗」も後に「新羅」に滅ぼされた。 (「任那」は、大和朝廷の支配地だったという資料もあるそうだが、韓国では当然認められていない) この頃までの日本と高句麗、百済は、貿易や文化的な交流が盛んであった事は周知の事であろう。万世一系の天皇家にも、百済の血が入っているらしい事は、数年前に今上天皇が言及した。 (中国の書物には、「百済」の国には、「倭人=後の日本人」が非常に多く住んでいる、と記されたものもあるらしい) 初期には新羅も含めた朝鮮半島との交流は、今とは比較にならない程盛んであったそうだ。仏教や中国文化も、これらの半島国を介して日本にもたらされた。 だから朝鮮民族は日本人の祖先であり、民族的・文化的に優位であった、という論法が成り立つのは明白、と多くの韓国人が考えている。 ところで、僕は朝鮮史にそれ程詳しい訳ではないが、単純な素人考えで一つ疑問を持つ。 ♪└(・。・)┐~~~~~ 新羅が「朝鮮半島を統一した」とは良く言ったもので、何のことは無い、戦争を仕掛けて隣の国を侵略しただけの事だ。 (このとき日本の大和朝廷は、海を越えた百済に7万人だかの援軍を送っている。聖徳太子あたりの時代だ。かつての領土「任那=伽耶」を「新羅」に奪われているから、かの地の奪回を目論だのかも知れないが、結局負けた) 新羅はその後「高句麗」に攻め入るときに、当時の中国大陸の強国「唐」と結託して、南北から挟み撃ちにした(恐らく。これは僕の想像)。 戦争で侵略した訳だし、前後して大量の高句麗人、百済人および旧任那人が日本に難民として亡命してきている史実を見ると、当然大虐殺が行われたのだろう。 ・・・・・・・・・・~(-_-~) 疑問とは外でもない。 一体当時の「新羅」と、日本に多大な影響を及ぼした「高句麗」や「百済」「任那」は果たして同じ民族だったのか? 現在に続く「偉大なウリ朝鮮民族」とは、別のエスニックグループであった可能性は、全く無いのであろうか? 朝鮮半島にあったものはすべからく、之皆朝鮮民族と断ずるのは、ちょっと無理があるのではあるまいか? 早い話が、「劣等な日本人に文化を教えてやった」かつての優秀な半島住民は、現在の韓国・北韓人とは何の関係も無い別民族だったと考えると、一体どうなるんだろう、という事だ。 ~└(-。-)┘ 実のところ、どうしてもこれが知りたい、という訳では特にない(笑)どうでもいい。 半島からもたらされた文化や様々なものにせよ、善意によって無償でくれた訳では、まさかあるまい。代金なり、何らかの見返りは支払われたと考えるのが自然だろう。 何にせよ、記録自体が曖昧な時代の事なのだから、自尊心を託すには甚だ危ういんじゃないの?という、まぁ他人事で無責任な疑問ではある。 ところで、誰かこんな素人くさい疑問に答えてくれる人は居ないだろうか(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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