『偶然と必然』(第54号 2008年11月号) 高岡法科大学教授 城山 正幸
職を退く時がそろそろ近づいてきた昨今、時折ふと-まだほんの時たまだが-来し方を振り返ることがある。末川博式「人生三分法」によれば、はじめの二十五年は準備の時代でつぎの二十五年は奉仕の時代で第三の二十五年は好きなことをする時代だそうだが(cited.戒能通孝「私の法律学の歩み」(『戒能通孝 法律時評 1951~1073』慈学社,2008,p.884))、私の場合、三分法の定式どおりには参っていないようで「60歳還暦を過ぎて自分の人生」らしい。国際法を専攻して来た者として、つまり、一応その道の研究者としてまた教育啓蒙に携わる者として、その専攻を通じて一体どれほどの社会的「奉仕」(貢献)をなしえたか、と考えるとき、内心忸怩(じくじ)たらざるをえない。と言うのも、権謀術数が横行し力の支配が正義と人権を蹂躙すること往々の、平和と安定から程遠い「国際社会」を見るにつけ、その感はいっそう深くなるからだ。 そもそも私は大学院進学に際して何故「国際法」を専攻したのだろう? そもそも何故「大学院進学-研究者志望」だったのか? そもそも何故「法学部」を選んだのか? そもそも何故「大学進学」だったのか-私の時代では、大学進学率はさほど高くはなかった-?そもそも…そもそも… … 。 ところで、私の書棚の「国際組織」の分類の部分の「国際連合」の部分の末尾の「国際連合改革」の箇所や「国際政治」の分類の部分の「世界政府」「世界連邦」の箇所には、かなりの量の文献・資料がある。その中に、私にとって特別な一冊がある。それは、田畑茂二郎『世界政府の思想』(1950,岩波書店‐岩波新書・青版39)だ。その側には、エミリー・リーヴス著/稲垣守克訳『平和の解剖』(1949,毎日新聞社)や横田喜三郎『世界国家の問題』(1948,同友社)さらにはマイヤー著/木下秀夫訳「」平和か無政府状態か』(1952,岩波書店‐現代叢書)等々が並んでいる。 しかし、田畑先生のご著書以外は後年私が国際法学徒になった後かなりかけていた頃に入手したものだろう。『世界政府~』は、じつは、2001年の夏永眠した私の長兄(昭和7年生まれのきわどい世代)の書棚から中学生の私が寸借してそのまま私物化してしまった物である(遺贈されたことにしたい)。この書物が、少年の頃から挫折と紆余曲折を繰り返して来た、1960年代半ば頃の私の進路を決定する遠因になったものだと確信している(何を隠そう、少年の日私は外交官志望だった!この書物の影響で!)。おそらくは、長兄の書棚でこの本を発見したのがそもそも「偶然」で、その遠い結果としてアレコレ迷った挙句に法学部に進学しまた大学院に進み国際法を専攻したのは「偶然」に近い。まさしく、人生「僅かの必然」と「大半の偶然」の積み重ねだ。 偶然とは、「何の因果関係もなく、予期しない出来事が起こるさま」「ある方向に進む因果系列に対して、別の因果系列が交錯して生ずる出来事」(いずれも『広辞苑(第六版)』)「偶然性とは必然性の否定である。必然とは必ず然(シカ)有ることを意味している。すなわち、存在が何らかの意味で自己のうちに根拠を有っていることである。 … 偶然性の三様態 … (一)定言的偶然、(二)仮説的偶然、(三)離説的偶然 … 」(九鬼周造『偶然性の問題・文芸論』(2000,燈影社))。スコラ哲学やらヘーゲルやらに始まる偶然と必然の哲学者の議論や「因果法則の普遍性を前提とする近代科学の立場」(『岩波・哲学思想事典』(1998)はさておいて、要するに(形而上学的な思考になじまない私の頭脳では)、偶然とは「原因や理由が分らないまま予期しない出来事が起こること」であり必然とは「この原因はこの結果を「必然的に」つまり(それ以外にはありえないこと)として引き起こす」こと(『前掲』)とすれば、「人生は偶然の積み重ね」で、それゆえに、他人との出会いもひとしお心に沁み「一期一会」を懐かしくいとおしくさえ想える。 本誌の45号に「近・現代日本における『地球市民』の先駆者」という拙稿を寄港した。そのつぎの46号に桐山孝信(大阪市立大学)教授の「恒藤恭の『世界民』思想」が掲載された。ともに巨星「恒藤 恭」の思想を紹介するものであったが(後者の方が前者よりも優れていること云うを俟たない)、私のは偶々(偶然)図書館の地下書庫でその小冊子を発見したことに端を発したに過ぎない。桐山教授の方は、後に大阪市立大学『法学雑誌』(51,4号-2005年5月-以下)に「恒藤恭の国際法・世界法研究」を執筆しておられるのだから、本誌への件の寄稿は「必然」と言うべきだろう。 「70歳停年を過ぎて自分の人生」よろしく「偶然」と「必然」を積み重ねて行きたい。