カテゴリ: ひ と り ご と
夢の中、僕は神社の中にいました。ぼんやりとはしていましたが、すぐにここがどこなのかは分かりました。幼い頃、あんなに走り回っていた場所です。分からないわけがありません。 懐かしい感覚でいますと、僕の身体はスーッと真上へと登って行きました。頭がすぐ天井に届きそうなものですが、そうはならずにどんどんと上へ登って行くのです。天井がなくなって外に飛び出したわけではありません。周りは社殿の造りのままです。瞬間的に思いました。高い場所にあった本殿に向かうのだと。しかしそうではなく、三十メートルか五十メートルか、それ以上か進むとちゃんと天井に辿り着き僕は止まりました。ただこの天井には一面を埋め尽くすほどに、大きな風鈴のような物がたくさん整然と釣り下がっているのでした。ほの暗く明かりも灯っているように見えるこれは一体何なのか。なんともぼんやりとしていましたら、僕はそこから横へすうっと移動し外へ出て行くこととなり、夢はそれで終わりました。 こんなふうにとてもハッキリとした夢でしたが僕はそのとき、これを深くは考えませんでした。ただ「あそこへお参りに行ったほうがいいのかもしれない」くらいに思った程度でした。 そして去年の今頃になってようやく、ですから夢を見てから約一年後、僕は久々に春日神社へお参りに行くことができました。 坂を登り、手を清め、鳥居をくぐり、あの敷地に足を踏み入れる。そういったここにある全ての物に対し、こんなに小さかっただろうか、狭かっただろうかと思いながら社殿に入りました。 この神社は何年か前に大規模な補強が行われたようで、趣きはそのままにとても綺麗になっていました。 お賽銭を入れ手を合わせますが特に何も感じません。普通、そういうもんです。とはいえ懐かしい気持ちでいっぱいでした。また天井も見上げましたが、そこには何もありませんでした。普通の天井がそこにあるだけです。いや普通です、そういうもんです。 寂しかったのは、かつてそこに建っていたお婆ちゃんの家が跡形もなく消えていたことです。 しかし僕は今でもハッキリと細部に至るまで、あの家のことを思い浮かべることができます。いや今でもそこに建っているような気がするほどです。神社もそう。中身は変わらず同じなのかもしれませんが、今そこにある綺麗に生まれ変わった姿よりも、僕の頭の中にハッキリと残っているのは幼い頃に馴れ親しんだ、かつての少し寂れた穴の空いたような姿なのです。 さて。ここのところ僕は《日帰り弾丸ツアー》などと称して一人でいろんな神社巡りを慣行していますが、伏見稲荷神社が素敵だったことに勢いづき、次はどこへ行こうかと、またパソコンに向かい算段を立てていました。すると――。 《 つづく 》 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.11.01 18:09:18
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