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カテゴリ:柔術
昨日は岩国で錦帯橋まつりがあって、その中のイベントで「片山伯耆流居合道演武」が行われた。居合の演武は、いつもは屋内で見ることがほどんどで、宮島の厳島神社での演武会も拝殿で行われるから屋外のようで屋内かな?と。
今回は吉香公園内の牡丹園、岩国徴古館の前で行われたので完全な屋外。まあ、ここいらでは片山伯耆流の居合自体、なかなか見られるものではないからな。 演武は5本、10分少々のものではあったけど、やはり迫力がありますな。この流派の特徴は、抜刀のときに鞘をひねって下から上に斬り上げる動作があること、残心のときに刃を水平にして切っ先をやや下げること、納刀は鞘を水平にして行うこと、といったところだろうか。 理念としては、戦国時代に端を発しているわりに「戈止之剣」という珍しいものである。この時代の剣術と言えば、「いかに相手を殺すか」がテーマであったわけだが、この片山伯耆流は「いかに相手を殺さないか」、つまり、相手を倒して勝つのではなく、相手を倒さずして勝つという思想がこの流派の根底にある。 この流祖である片山伯耆守久安はもともと京都の人のようである。が、豊臣家に師事し、その関係でか、豊臣家が滅した後、吉川家を頼って岩国に来ている。そして、吉川家に客分として迎えられ、晩年は岩国ですごしていたようだ。その後、片山伯耆流は岩国領にて伝えられているのだが、明治になり武助の代で継承を断念している。 今、伝えられている居合は熊本に伝えられた星野派のものと、大阪、京都に伝えられているものである。実は、イタリアにも伝わっていたりするのが不思議なところ。 久々に、片山伯耆流の居合を見ることができたのだが、やはり継承というのは難しいものだと。なかなか次の世代がいないようなんだ。せっかく、本家本元のこの岩国の地にあるのだから、うまく次の世代に繋がっていけばと思うのだがな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月30日 05時35分21秒
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