「従軍慰安婦」に寄せて 韓国の友人の手紙から
「従軍慰安婦問題」について 韓国の友人の手紙から本日のクロニクルに取り上げた慰安婦問題に絡めて、私の韓国の友人から頂戴した、日韓関係の将来を心配した手紙の一部抜粋して以下に掲載します。彼は私の年長の友人で、夫人は日本の方です。二人の子息はもう17年ほど日本で生活し、2人とも日本で結婚し、お子さん(友人には孫)は夫人の姓を名乗って日本国籍を取得している親日家です。お読みいただくと、韓国の人達いっぱんの考え方が良く分かるように思い、ここに掲載します。 「勿論私も、韓日関係について危惧の念を抱いでおりますとともに、腹立たしいこと、とくに過去を直視しない日本側の誤った動きに対して、歯止めをかけられない悔しさがあります。なぜ、挺身隊(日本側は軍慰安婦)の方々にすまなかったと謝罪できないのでしょう。 出来る機会はいくらでもあったのです。安倍首相も彼女らが亡くなると慰安婦問題が静まるだろうと思っているようですが、それはとんでもない勘違いです。非常に遺憾なことは44名の国会議員が、金を儲けるために希望し選択した職業であると虚偽の証言をニューヨークタイムズにのせたことです。 私が小学校6年生の時に日本が無条件降伏し終戦しました。1938年戦時統制法令施行を勅令で定めた、国家総動員令(昭和13年4月日法律第55号)を基に1941年学童勤労動員まで行なった時が丁度私が小学2年生の時でした。当時から何年間も17,8才から24,5才までの お姉さん達とその父母を相手に,敵国米英を撃滅するために武器を造る挺身隊に入隊するよう,あらゆる巧妙な手段で勧誘され、甘言に釣られて動員された青少女が,終戦後帰国してから始めて慰安婦になったことを知らされ,愕然としました。私の年代なら誰もが知っている事実です。 私も数回にわたって挺身隊入隊祝賀行列にまじり、町から召集場の駅まで旗を振りながら進軍歌を声高らかに歌いました。「慶祝OOO挺身隊入隊」と書いた旗を先頭にし、出征軍人のように千人針まで首に掛けた入隊本人は右の肩から斜めにたすきを掛けて、後ろから村人達と道ばたに並んで見送っている人達に手を振りながら感謝していた姿が未だに目をつぶると浮かびます。 この事実を日本政府が認めたほうが早めに日韓の深い傷跡を無くすのではないかと待っていた人達も今はあきらめて、日韓親善を妨げる発言をしている様子も見られます。慰安婦と言う言葉は終戦後日本政府の造語であって、挺身隊に入隊され動員にされた当初は,お姉さん達もその家族も私達も全然聞いたこともない知らない言葉でした。 私達民間レベルでは、韓国と日本が仲良しになれるのか、又は相反目が続くのかは、時と場合に依りますが、これからの7年遠くで10年内に輪郭が浮かび掴められるだろうと言っています。日本と韓国が「つくる会」の歴史教科書、首相の靖国神社参拝問題, 挺身隊(従軍慰安婦)、問題などで両国民の感情がもつれて仲違いになる恐れがあります。 日本と韓国が仲良しの国になれるのか又は相反目が続くのかは両国が選択することに依りますが、一番早く解決する方法は日本が曖昧な遺憾と言う表現でなく、いち速く心こもった60年前の謝罪の意を一言表明することです。 謝罪の一言で日本に対した恨みが、70才後半以後の人達から歓迎の喜びの挨拶に変ることと確信します。 現在は、過去の加害に対し日本が曖昧な遺憾と言う表現で、謝罪を逃れようとしていると信じている年寄りの老人達が、日本は本音は隠して建前たけを口にしているから、これからも絶対に用心しなければならない隣り国であると強く反日思想を押し込んでいる状況でございます。 日本と韓国は共同繁栄体を築いで頑張らなければなりませんのに非常に残念なことです。 又謝罪の一言は民間レベルでの韓日両国青少年の<触れ合い><付き合い>の交流を遠い未来までを見通す長い目で奨めて行きながら、両国が『支えあってともに栄える未来』を見抜く仲良しになり、両国の助け合う協調の力が益々親善友好の交流を踏まえて徐々に目立つ変化を起こしていくでしょう。 胸を開いで気を配る行為が「お互いの譲り合い」「相手を赦す」最初の段階です。 気を配る心があってこそ「お互いの譲り合い」「相手を赦す」行為が見られるもので、これは、小さな行為から始ります。残念なことに出会っても満面に笑みを浮かべ危機を乗り越える人こそ偉大な人物であることは言うまでもありません。韓国と日本には勇気まで兼有したこのような「愛」と「能力」たっぷりの人物が必要です。 以下略」全文はこの3倍の分量のある長文のものですが、関連の部分に留めました。ブログをご覧下さっている皆様へ。お読みになられた感想を、何らかの形でお寄せいただけると幸いです。友人に申し送ります。