ウクライナ戦争を考える…2
ウクライナ戦争を考える……2PTSDウクライナに限りません。戦争は仕掛けた側、仕掛けられた側を問わず、破壊という物理的行動による損失、経済的損失、そして人的な損失など、社会経済的に攻める側、攻められた側を問わず、大きな損失を生むのですが、ここで忘れてならないのが、戦地の民衆のみならず、戦争に動員された兵士たちとりわけ若い兵士や銃後の輜重部隊の隊員たちに広がるPTSDの被害を見落とすわけにはいきません。一時を除いて、ほとんど報道されなくなっているのですが、初めて自衛隊が戦地に派遣されたイラク戦争はご存知と思います。このイラク戦争に派遣された兵士たち(3ヶ月交代の任務で、工兵部隊のような仕事を担当していましたから、戦場には出ておりません。)のかなりの部分が、帰国後PTSDに陥って長期にわたって、療養生活を余儀なくされているのです。戦場には出なくても、安全地帯の駐屯地から出て作業に向かったりする過程で、いくつもの肉片となって飛び散った死体や、苦し気にのたうちながら呻いている断末魔の人たちを目にはするでしょうから、精神をやられる自衛官が出るのは、むしろ精神的には健全のように思えます。五体に傷などありませんから、懸鼓そうに見えながら、精神は深く傷ついている。真面目で精神的に健全な若者だからこそ、むごたらしい死体の衝撃は極めて大きいのです。戦争は勝敗に関係なく、戦場に遭遇した健全な若者たちとプラスアルファの人たちに、再起不能かもしれない大きな心の傷を残すのです。すなわち輝かしい未来を棒に振る、たくさんの若者を生み出すのです。イラク戦争の一つの場面に過ぎないのですが、私の目に焼き付いてしまったテレビ報道の一場面があります。若い純真そうな米軍兵士が、走ってきた乗用車に向かって発砲し、両親と幼い子供2人を乗せた普通のイラク市民の車を蜂の巣にして、惨殺してしまった映像です。おそらくこの兵士はゲリラの攻撃に怯えてしまい、この車からゲリラが銃撃してくると錯覚して、咄嗟に銃撃してしまったのでしょう。自分の行動が生んだ悲劇に気づき、「こんなはずではなかった。僕には銃を構えたゲリラの顔がはっきり見えたのに… と首を振りながら呆然としていた兵士の顔を、今もはっきりと覚えています。純情なこの青年は、おそらく一生を棒に振ってしまったと、当時0代前半だった私は受け止めました。重度のPTSD患者になって今も苦しんでいるのか、あるいは自ら命を絶ってしまったのか、知る由もないのですが…激しい地上戦が行われ、ヤケッパチのロシア軍の無差別爆撃や空爆は、ウクライナの人々に、消せない傷を残すでしょうし、ロシア軍の兵士にも、多くのPTSD患者を生み出すでしょう。こうした面からも、戦争は早期に終結させることが、今となっては最も望ましこととなるのです。戦争にプラスなんてないのですから… 続く