ザビ神父の証言

2011/01/15(土)12:16

双葉山敗れる 15日の日記

社会風俗(2014)

クロニクル 双葉山敗れる 1939(昭和14)年1月15日 72年前の今日は、大相撲1月場所の4日目でした。前日まで69連勝を続けていた横綱双葉山にとって、この日の一番は70連勝のかかった一番でした。そしてこの日双葉山は安藝ノ海の外掛けに敗れ、古来稀なりの70連勝には届かなかったのです。 勝利した安藝ノ海は出羽の海部屋の新鋭で、双葉山とは初対戦で、巡業中の稽古の経験もなく、取り口を全く知られていなかったことが幸いしたとも言われていますが、出羽の海部屋あげての打倒双葉山の作戦で、投げにきた時に足を狙えと、教えられていたと言います。 最近、横綱白鳳の63連勝が話題となりましたが、双葉山以前の連勝記録は、横綱谷風の63連勝と、奇しくも白鳳とタイの連勝記録でした。 双葉山の連勝記録は、小結だった1936(昭和11)年1月場所の7日目に始まります。前日はこの場所全勝優勝を飾った横綱玉錦に敗れています。この場所9勝2敗で関脇に上がり、以後この日の敗戦まで負けしらずの連勝を続けたのでした。 当時は年2場所、1場所11日間の興行でしたが、36年5月場所11戦全勝、翌年1月場所も全勝と続くと、双葉山人気が盛り上がり、同年5月場所からは、13日興行に伸びたのです。ですから、同年5月そして38年の1月、5月と13戦全勝を続け、66連勝として、39年1月場所を迎えたのでした。 まる3年にわたって、連勝を続ける緊張感に耐えたのですから、やはり不世出の大横綱と言えるのでしょうね。 ところで、双葉山に勝利した安藝ノ海ですが、彼は勝って驕らず、親方や先輩から、あの双葉関に勝ったオマエも、負けて話題になるような力士にならなければ、双葉関に失礼になると諭された教えを守って、稽古に励み、4年後の1943(昭和18)年1月場所後、照国と共に横綱に推挙されました。 ところで、その後双葉山と安藝ノ海と8度対戦していますが、双葉山の8連勝に終っています。 以上、小学生時代に、オヤジに何度も聞かされた話です。東京大空襲で焼け出されるまでの我が家は、当時の両国国技館の近くにあり、呼び出し太郎さんのお宅の近くだったとか。オヤジは相当な相撲狂だったのです。

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